信じる責任

人や物事を「信じる」っていうことは、本当は、絶対にうまくいくこと「だけ」を期待するものとは違うように、私は思うんです。

うまくいくことだけを期待しているのならば、もし結果的にうまくいかなかった場合はどうなのか?
きっと「せっかく信じてたのに、期待を裏切られた」と感じることでしょう。
結果が出る前までは「信じてる」だなんて、味方のような態度をとっていたのに、失敗したとたんに裏切り者呼ばわりをされる...
そんなの、「信じてた」なんて言えないでしょう?

本当に人を信じるってことは、もし仮に、いい結果が出なかったとしても、そしてその被害が自分にも及んだとしても、それを受け入れる覚悟をすることだと思うんです。
だからそれは、自分自身が失敗や過ちを経験した人でなければ、本当はできないことです。

もし失敗しても人は立ち上がれるんだということを、身をもって経験した人でなければ。
失敗を避けて通る人は、どう考えても成功するという保証のあるものしか信用できません。

もし仮に、その保証のあるものでさえ失敗してしまったとしたら、その時にはまた「裏切られた」「自分は被害者だ」と考えてしまいます。
でも、信じるということは、自分自身が責任を持つということだと思うんです。

「信じるから全部任せたよ、そのかわり責任は取ってよ」
「信じてるから、裏切らないでよ」
なんていう、虫のいい話ではないはずです。