成功者の黒い陰

何か大きな仕事を成し遂げた人とか、大きな記録を打ち立てた「成功者」とよばれるような人をみると、無条件に、その人は相当立派な人なんだな、と思ってしまいがちです。

いやもちろん、本当に立派な人なんだと思うんですが、でも私は根がネガティブなせいなんでしょうか、つい、そういう人の成功の下には、いっぱい汚れた部分が積み重なっているんだろうな、なんてことも思ってしまうんです。

ついそういう陰の部分に、興味を持ってしまう。

それは決して、自叙伝とかに書かれるような、感動的な失敗談とか苦労話というようなものではなくて、表に出せないような、決して人には言えないような失敗とか、過ちとか、そういう部分のことです。

そのことを表に出してしまえば、一気に好感度が下がってしまうような、そういう黒い部分のこと。

きっと多くの「成功者」と呼ばれる人たち、人格者と呼ばれる人でさえ、本当はそういうものも持っているはずだと私は思うんです。
本にも書けないし、インタビューでも言えないようなことだから、表に出ないだけで。

だから本を読んだりテレビで見た限りでは、もの凄くいい人に思えるわけです。
だけどそういう人でも、弟子になった人が何人も辞めていたりします。
実際に生身のその人に近付いたことで、本やテレビでは見えない陰の部分が見え出したからでしょう。
私は大した仕事も記録も成し遂げていませんが、クライアントの方々からは「先生」と呼ばれ、頼りにされ、そして日々上から目線で偉そうなことを言っています。

そのせいか、時々立派な人なんだと思われることもあるんですが、全くもってそうでないことは自分が一番分かっています!

多分、私のことを立派な人だと思っている人は、私のそういう立場とか、つまり表面だけを見て、そう言っているんだと思うんです。
それと、立派な人であって欲しいという、願望がそうさせる面もあるでしょう。
・・・残念でした、ごめんなさい(汗)
とても人に言えない失敗、過ち、勘違い・・・私もそういうものをいくつか経験してきています。
もちろん直接「どんなことですか?」って聞かれても答えられませんよ…。

そんな私の失敗や過ちを知っている人の中には、私のことを嫌っている人もいることでしょう。

だけどそういうものの上に今自分が立っているからこそ、私自身は失敗や過ちの大切さが、理屈ではなく、体感としてわかる、そんなつもりでいるんです。

同時に、その本当の恐さも分かるつもりです。
これは多分、正しいことばかりをしてきた人にはわからないでしょう。
徹底的に間違いを避け、正しい道を追求してきた人、何事もマニュアル通りに完璧にこなしてきた人にはわからないことでしょう。

正しいことしかできない人たちは「失敗が恐いから」とよくいいます。
でも本当のその失敗の恐さを、彼らは知らないのです。
知りもせずに怯えている。
だから一歩も踏み出せない。
失敗の大切さを知っているからこそ、他人の失敗も、先回りして止めてしまうことなく見守ることができます。

その恐さを知っているからこそ、その恐怖感に理解を示すことができます。
そしてその失敗を、そしてその恐怖心を、許すことができます。
いつも表面の成功しか見ていない人は、成功以外、正解以外を認められないでいます。
だから人と違うこと、常識と違うことにやたらと怯えるようになる。
そして自分が正しいことしかできないから、失敗や過ちを犯す人のことを厳しく非難する。
失敗を恐れるな、などと言いたいわけではありません。
恐くない失敗なんて、失敗じゃないでしょう。
恐れや落胆があるからこそ、力になります。

道を外れてこそ、新しい道が開けることもあるでしょう。
真っ直ぐで見通しのいい道をただ歩くだけなんて、なんてつまらない人生でしょう。
そんな道だけを歩いてきた大人が、まだ見ぬ未来へと歩んで行く子供たちに、何を伝えられるというのでしょう。