選択の時代

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人間の体や心に関することも、教育とか子育てとかに関することも、昔にくらべて随分といろんなことが分かるようになってた時代です。

医療や科学の発達のおかげでしょう。

そのおかげで、現代社会に生きる私達は様々な「選択」をできることになりました。

 

しかし一方では、私たちは自分で選択をしなければならなくなった、ということもできます。

情報はとても多くあります。

中には明らかに誤ったものもありますが、数ある情報の中で、自分はどの情報を選び、そして実行していくか・・・

これは、自分の責任でするしかありません。

 

仮にその情報を選んだ結果、何らかの問題が起こってしまったとしても、それはその選択をした自分にも責任があるはずです。

厳しいことをいえば、本当の意味で「選択をする」ということは、自分で責任を負う覚悟をする、ということなのではないか、とも思うのです。

「ダメだったら、その情報の発信者のせいにしておこう」などと思っているうちは、本物の選択なんてできないのです。

選択したものを、自分のものにすることなどできないのです。

 

昔と比べて、選択肢が多くなったおかげで、迷う人も多いでしょう。

情報が豊かになった反面、失われてしまったものも多いでしょう。

 

「昔のほうがよかった」「今の人は贅沢だ」と嘆く人の声もよく聞きます。

しかし、選択肢が多いということは、つまり責任が多いということでもあるわけです。

 

逆に言うと、選択肢が少なく、決められた通りにするしかないということは、その決められたことに守られている、ということもできるのです。

もちろん、自分の本心を押さえ込んで、決まった通りにするしかないということは、それはそれでとても大変なつらいことだと思うのです。

だけどその通りにさえしておけば、周りの誰からも認められ、受け入れられ、守ってもらえるという保証がついていることも確かです。

 

ところが選択肢の多い現代においては、自分の選択が他人と違うことが当たり前のようにあります。

違うことを選択した人のことは、なかなか受け入れられないものです。

そこで批判が生じたり、偏見の目で見られるようなことも起こったりする、そういうリスクもあるのです。

特に世代の違う人、最も多いのは親でしょうね、なかなかその選択を認めてもらえないことが多いはずです。

これはとても、つらいことです。

そうしたリスクを背負った選択は、決して「贅沢」で片付けられるようなものではないと思うのです。

 

それにしても、これだけ選択肢が多く、違う選択をする人が多いということは、それは「人はそれぞれ違うものだ」ということがわかってきたという証なのではないか、とも思うのです。

それを単に贅沢であるとか、間違いであるとか決めつけるのは、次々と解明されてきた人間の体や心の秘密に蓋をしてしまうことになるような気がします。

 

新しいことを受け入れるのは難しく、自分と違うものを理解するのはもっと難しい。

新しいことには常に失敗のリスクが伴うものですが、そうやって色々なことが分かってくるもののはず。

それに、今まで通りのことだって、実は間違っていること、現代には合わないことがとても多いものです。

結局私達は常に、新しい選択をし、チャレンジをすることでしか、前には進めないのではないか、と思うのです。

 

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