整体的観察

整体法講座を終えて・・

 

今回のメインテーマは内蔵へのアプローチということで、主に今からの季節に重要になる排泄系統の働きを活性化する、肝臓、腎臓系へのアプローチを実習しました。

ですが、前半では、体の観察訓練に時間を割きました。
どんなに技術を持っていても、どんなに知識を詰め込んでも、結局相手の状況を客観的に観察できないことには、ただただこちら側の思い込みや押しつけで終わってしまいます。
この観察というのはとても奥深く、言葉では説明しづらいものがあります。
たとえば昨日は、相手の両手首を掴んでみて、その時にどちらの手首に違和感を感じるか、という練習をしてみました。

「違和感」と言っても、様々です。
太さが違うとか、固さが違うと言った物理的な違いというのもあるでしょう。
だけど、何だか右が疲れている感じとか、左が重たい感じとか、うまく言葉では表現できないような「違和感」だってあるんです。

しかもそういうものは、考えれば考える程分からなくなっていきます。
最初にパッと手を握った時に、ふと感じる感覚が正解であることのほうが圧倒的に多く、「いや、でもこっちかなぁ?」なんて考えていると、どんどんわからなくなる。

さらには、「そういえば、この人は左肩がこるって言ってたから左かな」とか、「この人は右腕をよく使う仕事だから右のはずだ」とか、理由を考え出したらもう最後で、結局その「理由」に適っているほうの手首が異常だ、と決めつけてしまい、ありのままの状態を感じることができなくなってしまいます。
だけどその「理由」が必要ないのかというと、決してそんなことはないんです。
特にプロのレベルとなると、どうしてもその理由を探っていくことも必要になってきます。

なぜ右なのか、なぜ左なのか・・・
「何となく気になるから」で終わらせるわけにはいきません。

一般家庭レベルでは、「気になる所に愉気をする」という程度でいいかもしれないけれど、プロの人が「何となく」で終わらせるわけにはいかないと思うんです。

だから、たとえば右手なら右手の異常が、どこと関連していて、その背景にどのような問題があって・・・ということまで、理由を探っていかなければいけないわけです。

でもその理由の組み立てというのは、まず最初の感覚があってこそ。
最初の感覚からたどっていくべきものであって、最初から理由が立つべきものではないと思うんです。

ちなみに、その最初の感覚というのは、『インスピレーション』というものとは全く違います。
それは必ず、手で触れた触感に基づくものでなければならないと私は思います。

インスピレーションの背後には、自分の経験や思想、好みといった「思い込み」が実はかなり含まれている場合が多いです。
そうではなく、触感という「物理的な証拠」が、ある程度必要なのです。
そうじゃないと、公平なジャッジができません。

実際の整体の現場では、体に触れずに観察することも多くあります。
だけどそれも、姿勢の偏りとか、表情の動きとか、声のトーンとか、実際に目に見える、耳に聞こえる現実的な動きを元に、観察がなされているのです。

そしてその動きを、「体癖」などのデータベースに照らし合わせて、様々な判断をしていくものです。

決して超能力的な直観力で判断していくのではなく、手や目、耳など、訓練を積んだ感覚器を通しての判断なんです。