生きる意味と人生の価値

自分の価値が分からないとか、生きることの意味が分からないとか、そういったことで悩んでいる人は少なくないようです。

何かの出来事をきっかけにそんなふうに考えるようになったのかもしれないし、他人と自分を比べて、あるいは比べられて、悩んでしまっているのかも知れません。

そういえば「自分探し」なんていう言葉も流行りましたが、それも自分が生きている意味とか、生まれた意味とか、自分が人生で成すべきことを知りたい、というようなものですよね。

『前世』に興味を持つ人が多いのも、今の境遇の「意味」を知りたいが故のことなんでしょう。

でも、私は思うんですが、意味って、どうしても分からないといけないものなんでしょうかね?

意味が分からないものは、価値がないってことなんでしょうかね?

意味とか価値とかが分かっていない人は、生きてちゃいけないんでしょうかね??
しょせん、意味とか価値とかいうものなんて、何かの尺度に、誰かの都合に合わせて付けられたものなんじゃないか、とも思うんです。

「たくさんの売り上げをあげる社員は価値がある社員」とか、「金メダルをとってこそ価値がある選手」とか。

要するに、何らかの『結果』が約束されているものにしか価値がない、って言っているように聞こえるんです。

そして、その結果につながる保証がないものには、意味がないんだと。

うまくいくかどうか、分からないことはやる意味がないんだと。
つまり、答えが分かっているものにしか意味がないんだ、というように聞こえるんです。

そんな「自分探し」なんて、バカバカしいとしか私には思えません。
今の仕事や今の生活に意味を感じられず、「自分探し」にばかり夢中な人は、多分「社会のレールの上を走っているだけの人生なんてつまらない」って考えると思うんです。

だけど、意味の分かっている人生こそが、実はそのレールの上を走るだけの人生なんじゃないでしょうか。

「私の人生の意味は○○です」といった、もう最初から見えているゴールに向かっているだけのレールです。
誰だって、経験があるはずです。
「あの時にはわからなかったけど、10年経った今だから、あの頃の経験が役立っている気がする」というようなことが。

だとしたら、今、意味や価値がわからないことこそが、実はものすごい意味や価値を持っていることなのかも知れません。

そして、10年前の自分は、その経験の大切さが分からないような未熟者だったという証拠でもあります。

そのような未熟な自分が、「この出来事にはこういう意味がある」なんていう意味付けをしていたとしても、そんなものは全く的外れの意味でしかないでしょう。
そもそも意味付けなんていうものは、今の自分がやっていることの正当性を証明するための、都合のいい言い訳なのかもしれません。

自分がやっていることは正しいんだ、自分は正しい道を歩んでいるんだ、という証明書が欲しいだけなのかもしれません。

それじゃぁ社会的地位や収入、肩書き、学歴などに依存する人たちと同じじゃないですか。

一生懸命頭を悩ませて探している「意味」なんていうのは、そんなものなんでしょうかね?
そんなことよりも、意味なんて分からなくても、やることの価値なんてわからなくても、ついやってみたくなること、夢中になってしまうこと、そんなことに出会うことのほうが、よっぽど『意味』があることなんじゃないかと思うんです。

それは、頭の中で意味が分かるまで動き出さない人には、決して出会うことのできないものです。

仮にそういうものが見つからないとしても、今目の前にあることをとにかく精一杯やってみることは、同じように意味のあることなんじゃないでしょうかね?