肌で感じるということ

体と心の話

人間の心の動きは、言葉や表情、動作以外に、皮膚にもはっきりと表れてくるものです。

例えば、ゾッとすると顔が青くなったり、恥ずかしくて赤くなったりするのも、心理的な状況が皮膚に表れた現象です。

アトピーなどのいわゆる「皮膚病」も、実は心理的な問題が背後にあることが多いのです。

 

皮膚というのは、自分の内面と外界の、自分と他人の境目です。

極端な言い方かもしれませんが、自分以外の世界に触れることができるのは皮膚だけです。

また、外から見える自分というのは、自分の外側、つまり皮膚です。

 

皮膚は重要なセンサーであり、自己表現のキャンバスでもある、ということができます。

普通、私達は耳で言葉や音を聞いたり、目でその実体を見て、それを頭で判断して、外界からの情報を得ています。

そして、自分を表現する時も、声を出して言葉で表現したり、文字で表現したり、その言葉、或いは動作を頭で考えてから表現します。

 

しかし、皮膚で感じること、或いは皮膚に表れることというのは、この「頭で考える」というプロセスを通さずに、直感的に行われることが多いのです。

つまり、意識でコントロールできない領域につながっている、ということです。

 

顔が赤くなる、青くなる、なんていうのは、やめようと思ってもやめられないものですね。

無意識のうちにそうなってしまう、むしろ、やめようと思えば思う程赤くなったり青くなったりします。

どんなに言葉で「私は落ち着いていますよ」と言ったところで、皮膚はその人の本心を表現してしまっているわけです。

 

また、肌を通して感じることも、実はずっと心の奥に影響を与えているわけです。

ただそれは、言語化できるような意識的な情報ではないために、その影響を受けていることに気付かないだけなのです。

 

例えば、恋人に手を握られた時・・・。

たとえその相手が、口では優しいことを言っていて、立派な人生哲学などを語っていたとしても、いつもがさつな手の握り方をしていると、何となく落ち着かない、不思議な違和感が心の中に感じられるものです。

頭では「優しくて立派な人」と感じているつもりなのに、なぜか、理由はわからないけれど、一緒に居ても安心できない…というように。

 

そのような「何となく」の感覚、潜在意識に浸透するような、言葉にしづらい感覚というものを、皮膚は常に感じているのです。

落ち着く場所の空気を感じる、というようなものもそうです。その場の雰囲気というのは、つまり肌で空気を感じているのです。

「現場の空気を肌で感じる」とか、「肌に合う」などとも言われるように、理屈で語れないけれど、とても重要な要素を私達は肌で感じ、そして伝えているのです。

 

小さな子供、特に赤ちゃんのうちは、目や耳で聞いた情報を脳で分析するという能力がまだ未発達なため、肌で感じる情報のほうが影響力が強いようです。

子供が親の体に触れたがる、手をつなぎたがる、抱っこを求めるのは、そういう理由でもあります。

 

子供の感覚器を育てる意味でも、そして心を育てるためにはさらに、たっぷりと肌に触れてあげることが絶対条件になります。

肌を通しての深い安心感に満たされてこそ、心にゆとりが育まれるのです。

 

その経験がない子は、いつまでもベタベタしてきたり、或いは逆に極端に冷たくなったりする傾向があります。

幼い頃から、肌で触れあって多くのことを感じて来た人は、様々なことを肌で感じる、分かってあげることができる、『気』がきく大人になれることでしょう。

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