体・心の本音

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知人Aさんから聞いた話です。

Aさんの友人であるBさんが、ここ数年ほど、ある食事療法を実践しているのだそうです。

Aさんによると、Bさんは元々過食気味でぽっちゃり型。時々ストレスで食べ過ぎては、体調を崩していたそうです。

しかし久しぶりに会ったBさんはすっかりスリムになっていたそうで、本人は体調もよくなって、そしてその食事療法に出会えた事を喜んでいる、と言っていたそうです。

 

しかしAさんはどうも心配が拭いきれないようでした。

Bさんは確かにスリムになったのですが、急に老け込んでしまったように見えたんだそうです。
眼の輝きとか、生き生きした表情とか、肌のつやとか、そういうものがなくなっていたように見えたそうです。

まるで、“怪しい新興宗教の信者”のような雰囲気に見えたというのです。

 

そういう雰囲気というのは、『心を奪われている』状態の人によくみられるものです。
自分を失っている人、といってもいいでしょう。

聞いてみると、Bさんが通っている健康教室は、情熱的でカリスマ性の強い先生がいることで有名なところでした。

どうやら、その教室に心を奪われているようです。

 

心を奪われているからこそ、「自分が無い」ような不安定な印象を感じさせる。

でも言葉だけはやたら前向きで、熱かったりします。

それもそのはず。先生が熱く語った言葉を、そのまま語っているだけだから。
自分の心を奪ったその先生が熱く語っていたその姿を、今度は自分が演じているのです。

 

特にBさんのようなタイプの人は、熱く理想を語るような人の勢いに強く惹かれる傾向が強いケースがあります。

そして仲間から外れることを極端に恐れる傾向もあるのでしょう。

逆に言えば不安や寂しさに敏感であるが故に、“共感”を強く求めるタイプといってもいいでしょう。なので、いろんな所にくっついてみるのです。

元々、あれこれと健康法などに手を出して落ち着かない人だったということですが、そんな中で、強力な、強引な吸引力を持つ先生に出会ってしまった。

その人の話に陶酔し、実践することが生き甲斐になった、自分は幸せだと思えた。

しかし、それが言葉には表れても、体には表れていない・・・これはどういうことでしょう?

 

人間の心というのは、複雑な多重構造です。

「100%そうだ!」と思っているつもりのことでも、心の別のパートでは「そうではない!」と思っている自分がい、ということはよくあります。

 

人は生き甲斐や目標をみつけると、一旦元気になるものです。

Bさんも頼り甲斐のある先生に出会えた喜びによって、体調がよくなったのでしょう。

その食事療法そのものの力よりも、心理的な効果の方が強かったはずです。

しかし、Bさんにとって、その食事療法を実践することの喜びは、彼女自身心の心のほんの表面で感じているものに過ぎないかもしれないのです。

 

実は、さらにその心の奥では、その食事療法を無理に続けている自分がいたはずです。

仲間はずれにならないように、先生に嫌われないように。

その無理を、自分でも見ないように隠していたんです。

 

違う見方をすれば、その先生には、人の心が感じる無理さえも覆い隠してしまう強さがあったのです。

そしてBさんは、そういう強さに身を委ねてしまう不安定さを持っていた。

それだけ、不安だったとも言えるでしょう。

そもそも、彼女が元々持っていた過食の癖も、そんな不安から来ていたはずです。

 

そんなBさんも、そろそろ隠していた無理が表面化してきたようで、どうやら体調が良くないようなのです。

頭の中で、しかも自分の頭じゃなくて、他人の頭で決めた健康法で、自分の体の都合を制限してしまったのでは、あまりにも可哀想です。

その調子では、体のほうも抵抗してくるはずです。

 

それよりも、時には子供のように、アイスクリームで口の周りを汚してみたり、ケーキ屋さんでワイワイいいながらどれにしようか迷ってみたり・・・そんな心のお楽しみがあったほうが、Bさんは元気になるような気がしてなりません。

そんな余裕も与えてあげられない、ギスギスした健康法が、豊かな心と体を育んでくれるとは、とても思えないんです。

 

残念なことに、Bさんに直接してあげられることはありませんが、その体調不良を機に、ご自身の体や心の本音に目を向けてもらえれば、と願うばかりです。