心配と体験

当塾では「頭の疲れ/使い過ぎ」を話題に上げることが多いですが、それはそれだけ頭の問題が体にも、そして心理にも与える影響が大きいからです。

 

一言で言ってしまえば「ストレス」ということになりますが、ほとんどの体・心の病気の元を辿っていくと、やはりそこに辿り着いてきます。

中でも多いのが「心配のしすぎ」です。
先のことを案じすぎること。

それは、今までの日本の教育のやり方が、そういう面を強く持っていたからだとも思うんです。

「心配」が全てのベースにあるのが、今までの日本の教育・しつけの特徴のように思うんです。

 

躾をするのも「恥をかかないため」に。

勉強をするのも「将来いい会社に入れるように」。

全てが「失敗しないため」の教育であって、つまりそれは、裏を返せば、常に失敗の恐怖を潜在意識に与え続けていることになるのです。

 

それも、知らないうちに与えてしまっているんです。

躾や教育をしている側の大人のほうが失敗を恐れていて、それが知らないうちに、子ども達に伝染してしまっているんです。

 

どんなに夢だ希望だと言い聞かせても、そういう心配は表情や仕草など、言語以外のところから滲み出ています。

敏感な子ども達は、そちらのほうを毎日たっぷりと浴びて生活しているわけです。

 

新しいこと、経験のないことにチャレンジする時というのは、誰にでも迷いが生じるかと思います。

それには、やはり背後に「心配」があるからです。

そのため、新しいチャレンジに際しては、出来る限りの準備と細心の注意を払い、成功する根拠と保証が整うまで行動に移せません。

 

 

しかし、実は心配というのは、全て空想の中にあるものです。

心配というものは、全てまだ起こっていないこと、先のことに対してあるものだからです。

 

そしてそれが空想である限り、その心配を現実的な根拠や保証で埋め尽くすことなんて絶対できないんです。

どんな準備をしたところで、さらにそれを上回る心配事が出てきてしまいます。

出てくるというより、いくらでも作り出すんです。

 

人間の想像力は無限です。

もちろんネガティブな想像力も無限だし、子どもの頃から心配癖を植え付けられて育ってきた人ならば、どんな準備をも上回る心配事を生み出すなんて実にたやすいことです。

要するに心配は「絵空事」ですから、いくらでも自由に作り出せるんです。

 

ただ唯一、その心配事に対抗できるのが「体験」です。

心配は空想ですが、体験は現実です。

 

心配は、現実じゃないから恐いわけです。

目に見えないから恐いんです。
だからこそ次々と連想が始まって、無限に広がってしまう。

知らない人と合う時に、「どんな人なんだろう」と心配する人がいますよね。

「悪い人じゃないだろうか」「どんなことを聞いてくるんだろう」「そもそも、私と合う目的は何だろう」「何か企んでるんじゃないだろうか」「それとも、本当は嫌だけど仕方なく合うだけなんだろうか」「背後で誰とつながっているんだろう」・・・・

考え出したらきりがありません。

しかし、いざ合ってみると、全ての心配が吹き飛んでしまいますよね。

実際に目の前に姿形を現してしまえばそれが全て。

もう現実のその人の印象以上、空想の意味がなくなるからです。

 

心配がある時は、とにかく行動に移してしまうとそれは無くなるんです。

その行動の結果、仮に失敗を経験することになっても。

失敗自体も体験の一つですから、それは心配に対抗する貴重な材料になるんです。

 

体験のある失敗と、空想上の失敗とでは全く意味が違います。

体験のある失敗は、失敗した理由もちゃんと体でわかっていますから、いくらでも現実的に改善していけるんです。

ところが空想上にある失敗は、そういうものが全くない。

ただただ無限に不安や心配がわき起こっては、広がっていくだけなんです。

 

「心配がなくなったら行動する」なんて言っている人はいつまでも行動ができないんです。

そしていつまでも心配がなくならない。

 

本当に必要な「準備」というのは、実際にやってみないと分からないものです。

何が足りないのかは、始めてみないと分からないんです。

 

よく事前に経験者の話を聞くことが大切だとも言われていますが、それは経験者にしか見えないことがあるからです。

しかし、それでも、しょせんそれは他人の目でみたことでしかありません。

経験者の話を聞くよりも、自分が経験者になったほうが何倍も早いんです。

 

 

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