逃げを封じる〜心と体の体操

これを言っちゃおしまいかもしれませんが、一人でやる体操にはどうしても限界があります。

それは、いくらでも「逃げ」が出来てしまうからです。

動きの悪いところや伸びの悪いところがあっても、その部分を使わず、他の場所でフォローして形だけできるようになってしまう、ということがあるからです。

たとえば脚の裏側の伸びが非常に悪く、本来なら前屈が苦手なはずの人でも、背骨を曲げることで深く前屈ができるようになってしまいます。

その人は背骨は元々柔らかいか、訓練して柔らかくなったのでしょう。
だけど本当はその人の弱点は、伸びの悪い脚の裏側にあるはずです。

本当なら、訓練して柔らかくなるような背骨とは違う、なかなか伸びが良くならない脚の裏を、じっくり時間をかけて動くようにしていかなければなりません。

だからその人の場合、背中を曲げないようにロックして前屈して、脚の裏を伸ばしていくようにしなければならないわけです。

だけど自分一人でやっていると、どうしても背中を曲げてしまう。
そのことに自分自身でも気づかないことがほとんどで、これはやはり指導者に指摘してもらい、誘導してもらわなければなりません。
このように、別の部分に逃げて、体操の「形だけ」をできるようになってしまっている人は非常に多いように思います。

そして、自分ではそのことに気づかず、出来るようになっていると思い込んでいる。
それで、一生懸命体操を続けていっても、体そのものが良くなっていかない。
そういうわけで、当塾の整体では近年特に、体操誘導をするような機会も増えているのです。

体の柔らかい人でも、体操などの訓練を普段行っている人でも、苦手な部分を指摘して「ロック」すると、途端に出来なくなったり、体のどこかに抵抗が起きたりします。

つまりその人の「弱点」が浮かび上がってくるわけです。
今まで上手に体操が出来ているつもりの人にとってみれば、急にそういう弱点を見せられるのはいい気分ではないかもしれません。

中にはショックを受ける人もいるでしょうし、自信を無くしてしまう人や、プライドを傷つけられてしまう人もいるでしょう。

また、やりづらい事をやらされるわけですから、気持ちいいものでもないかもしれません。

だけど、自分の体を変えていくというのは、決して気持ちいいものだけではないと思うんですよね。

極端な言い方をすれば、「掃除をする」っていうことは、「汚れを発見する」ということだし、その汚れに触れるということです。
これは気持ち悪いことですよね。

心の掃除だって、全く同じです。
いや、体と違って形がない分、より「出来たつもり」になりやすいし、いくらでも逃げることができます。
そしてそれに最もらしい理屈を付けて正当化することもできる。

一人でやる「心のワーク」というのは、そういう危険性を持っているわけです。
色んな自己啓発の本を読みあさってもなかなか変わらない、セミナーに出たときだけ幸せ、なんていう人が多いのもそのせいでしょう。

よほど観察力のあるコーチの指導を受けないと、本当は難しいものだと思います。
そしてその作業は、決して気持ちのいいものではないでしょう。
むしろ、普段私達の身の上に起こる出来事自体が、気持ちのいいことばかりではありません。
しかし実は、その出来事自体が一番の教科書であるかもしれません。
いつも身近にあって、しかもタダ、です。