怪我をしやすい人、しにくい人

体と心の話

先日の台風で、転倒してしまった人を目撃しました。

自転車で信号待ちをしている人だったのですが、突風により自転車ごと倒されてしまいました。

なにしろ急な突風、身構える余裕もなかったようで、地面に叩き付けられるように倒れてしまいました。

大丈夫かな、怪我をしたのではないかと思ったのですが、その人は急いで倒れた自転車を起こし、まるで逃げ去るかのように全速力で去っていきました。

軽い打ち身や擦り傷などはあるでしょうが、おそらく大きな怪我はなかったのでしょう。

その光景を見て、ふと以前コンビニの店先で倒れてしまったおじいさんのことを思い出しました。

そのおじいさんは、コンビニの出口にちょっとしだ段差があることに気付かず、バランスを崩して思い切り倒れてしまったのでした。

大きく膝を捻るかのような倒れ方をしたので心配したのですが、そのおじいさんも、まるで何事もなかったかのように急いで起き上がり、逃げ出すかのように小走りで去って行ったのです。

この二人に共通しているのは、どちらの人も「倒れてしまって恥ずかしい」「転んだところを人に見られて恥ずかしい」という思いが、とても強かったのだろうということです。

かなり人目を気にするタイプの人だったのかもしれませんね。

ただ、そのお陰で、「痛い」とか「怪我をしたかもしれない」という不安よりも「恥ずかしい」という思いのほうが強く、怪我をせずにすんだのかもしれません。

もちろんこれは、どちらも骨を折るような強い衝撃ではなかったから、という前提のもとでの話ですが、それでも転んだときの心理状態によって、その後に現れる怪我の状況というのは大きな違いが出るのです。

逆に、大きな症状につながりやすい心理状態というのは、「ひどい目にあった」という、被害者意識のようなものが強い時です。

分かりやすい例としては、交通事故の後のムチウチですね。

「ぶつけられて悔しい」という思いが強ければ怪我の度合いも大きくなるし、相手の事故対応に不満を持ち続けている人ほど、その怪我は長引く傾向があります。

コンビニで転倒した人の例でいえば、「こんなところに段差を作るようなコンビニの設計に問題がある!」というような考えに至ってしまうと、なかなか怪我は治らなくなります。

とにかくそのおじいさんの場合は、そんなことより先に「恥ずかしい」という思いとか、それとも「この程度で怪我をするような年寄りではない」という意地なのかもしれませんが、そういうものが先に立ったおかげで、怪我に至らずに済んだのでしょう。

もう一つ、こういう時に気をつけなければならないのは、周りの人が余計な心配をしないということです。

自転車で転倒した人に、「ひどい倒れ方をしたね、骨とか折れてない?」などという声のかけかたをすると、「もしかしたら骨折しているかもしれない」と不安になってしまい、それから体がおかしくなったりする場合があるのです。

そういう時は「大丈夫ですか?」ぐらいの声かけにして、余計なことを言わないようにするほうがいいでしょう。

「血が出てますよ」「病院で検査してもらったほうがいいですよ」などとは言わない方がいいです。

血が出たりすれば本人が気付きますし、病院へ行くべきかどうかも、他人に言われなくても本人がわかることですから。

もちろん、大量出血をしているようなら話は別ですが。

交通事故の後、一夜経って首が痛くなるという人の場合も、誰かに余計なことを言われた場合がとても多いのです。

「明日になったら痛くなっているかもしれないから」とか、あとは保証がどうのこうのとか。

そして結果的に長引きます。

こういうことは、実は怪我に限ったことではありません。

たとえば慢性病と言われるようなものであっても、どこかに被害者意識のようなものがあったり、他人による余計な心配の押しつけがあったりすると長引きます。

気持だけで病気や怪我が治るというほど簡単な問題ではありませんが、自身の心理が病気や怪我に与えている影響は、多くの人が思っている以上に大きいものです。

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