風評と被害

私は昔、動物の肉を一切口にしないという生活を2~3年続けていました。

それはその当時傾倒していた思想の影響なんですが、とにかく肉のエキスが少しでも含まれているものは口にしない、という徹底振りでした。

そういう生活を続けていると、次第に体が肉を受け付けなくなります。
誤って食べてしまえばお腹が痛くなって下痢をしたり、頭痛や吐き気を催したりすることもありました。

挙げ句の果てには、食肉が半径数メートル以内にあるだけで、気持ち悪くなってくるようにもなりました。

スーパーの食肉売り場を通るだけで気分が悪くなって顔をしかめ、足早に通り過ぎる・・・

売り場の店員さんにしてみれば、とても迷惑な客ですよね。

だけど当時の私は、「肉屋さんのほうが迷惑な存在」、という価値観を持ってしまっていたのです。
「肉を食べる事は悪いことだ」と信じきっていましたから。

ほんと、申し訳なかったと思っています(汗)

そういう生活を辞める事にしたのは、その思想自体への違和感が強くなり、離れたことがきっかけです。

それである日、以前のように肉を口にする生活に戻していこう、という決断をしました。
それは、その思想への依存を手放し、自分らしさを取り戻そうという自分自身への決意表明の一つでもありました。
そう決めた翌日の昼、意を決して(って、大げさですが)昔よく通ったラーメン屋さんに一人で入りました。

いきなりトンコツ系の濃いものは自信がなかったし、体も慣れていないと思ったので、あっさり系の塩ラーメンを注文。
さすがに肉のカタマリも厳しいかと思い、チャーシュー抜きにしてもらいました。

久しぶりに肉でだしをとった食べ物は少々胃にこたえ、独特の脂の匂いも刺激が強めではありましたが、決意も新たに(?)完食。

その後軽い下痢はしたような記憶もうっすらとありますが、本格的に具合が悪くなることはありませんでした。
そして後になって確信したことですが、肉を食べると、あるいは近づくだけで気分が悪くなるなんていうのは、実は『体』が拒否していたのではなかった、ということです。

「肉を食べてはいけない」という思い込み、つまり『頭』で強く拒否していただけで、それが体に「肉アレルギー」のような形で表れてしまっていただけ、ということです。

人の『頭』の力というのは恐いもので、その思い込みが強ければ、体さえも支配してしまいます。

こうした誤った「思い込み」が元になって起こっている『風評被害』も多いはずです。
過去の私の生活ぶりだって、食肉業界などに対する明らかな風評被害のもとです。
自分のそういう生活や思想の一部を、身近な人たちに言いふらしてもいましたから。

それに影響され、肉食に対して悪い印象を持った人も多いことでしょう。
肉を食べる人たちに対して、差別的な言動をとってしまった人もいるかも知れない。
私自身は間違いなく、そういう言動を取っていたと思うんです。

その影響で、「これって悪いことだった聞いたぞ」と怯えながら、それでも肉を食べる事をやめられず、不安を抱えながらの食生活を続けることになってしまった・・・という人もいたかもしれません。
だけど、本人からしてみれば、誤った風評を流している自覚など、当然ないのです。

吐き気や下痢を催したという『証拠』を持っている、と思っていたからです。
更には肉のせいで具合が悪くなったという、『被害者意識』さえ持っていたからです。
この『被害者意識』というのが、とても厄介なのです。
自分では、そんなものを持っているとはとても気づかない。
だけど、ほとんどの人が、多少なりとも持っているものです。
そして、その『被害者』の立場を守るために、他者を糾弾する・・・
本当はその行為が、加害者ともなりかねないことに気づかずに。

頭の中での思い込みを全くゼロにすることなんて、普通の人には無理だと思います。

私だって当然、無理です。
どこかでその「思い込み」に、依存している面もあります。

信じたものに寄り掛かって、信じた者同士が寄り掛かって、私達は生きているという面もあるでしょう。
だけど、そういう思い込みや、被害者意識のようなものが、自分の中で増殖しすぎていないだろうか、時々自分をよく振り返ってみること、周りの人達と照らし合わせてみることも、大事だと思います。

ついそれも、同じように『被害』を受けたという人たちばかりで、その被害を確認し合ったりもしてしまいがちなんですが、むしろ全く違う立場の人や、全く逆のことを言っている人の言葉の中に、大きなヒントがあったりもするものです。

 

「願望実現法講座」の中で、自分自身の中の『被害者意識』に対する取り組みについて、詳しく話しています。
興味のある方は参考にしてみてください。

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