微妙な違いの重要性

「○○先生のことはご存知ですか?」とか、「□□整体、△△ヨガとは関係があるのですか?」と聞かれることが度々あります。

聞かれることは別にいいんですが、「○○先生も同じことを言っていました」とか、「□□整体と共通していますね」「△△ヨガに通じるものを感じます」・・・というようなことを言われるのは、私は好きではありません。

好きではないというより、あまりいいことだと思わないんです。
それは、極論かもしれませんが、他との共通項を探すくらいなら、わざわざ別のところへ行く意味なんてない、と思うからです。

わざわざその「○○先生」や「□□整体」ではなく、当塾を訪ねて来たのであれば、逆にそれらとの「違い」のほうが大事なんじゃないか、と思うからです。

どんなジャンルでもそうでしょうけど、つきつめていけば、似たようなものになっていくのは自然なことです。

たとえば、演歌の修行をすれば、誰だってあの独特の歌い方になるものです。
かといって、演歌ならば皆同じか、というとそうではないでしょう。

あまり詳しくないんですが、多分、坂本冬美さんには、都はるみさんにはない魅力ってものがあると思うんです。
もちろん逆も。

だから坂本冬美さんに、「あなたは都はるみさんと共通していますね」と言うのは失礼だと思うんですよ。
偉大な先輩と比較されるのは光栄なことかも知れませんけど、本心は決して嬉しくないと思うんですよ。
だって坂本冬美さんとして、自分の歌を歌っているのだから。

都はるみさんが好きならば、とことん都はるみさんのCDを聞けばいいだけの話でしょう。

でも、「たまには違った感じの歌が聞きたいなぁ」と思って坂本冬美さんの歌を聴くのならば、それは都はるみさんと違うからこそ、いいんでしょう?
その違いこそが、求めているものなんでしょう?

ともかく、整体やヨガだって同じだと思うんです。
突き詰めていけば、結局似たようなものにはなるでしょう。

かといって、「みんな同じで、繋がっているんですね」なんていう、安易な言い方にはどうしても納得できないんです、私は。
似ているようだけど、微妙に違う。
ところがその微妙な違いの中にこそ、その人にしかない答えがあると私は思うんです。

その微妙な違いがどうしても合わないから、それぞれ別々の道を歩んでいるわけです。

これもよく言われる言葉ですが、『目指しているところが同じ』だとしても。

それぞれ、別々のルートからそこを目指しているのには、やはり理由があるんです。

だから、私は同時期にいろんな所を掛け持ちすることには、あまり賛成できません。
もちろん、それは人それぞれで、掛け持ちをしたほうが身に付きやすい、結果が出やすいという人もいることでしょう。

でも仮にそうするにしても、その「違い」をはっきり認識することは、とても大事なことだと思うんです。

そしてその違いをよくわかった上で、やがて自分がたどるルートを見いだすべきだと、私は思うんです。
同じことばかりいくつ抱え込んでも、何も変わらないと思うんですよ。
今まで行った所で満足できていないのならば、今までと違うところを探さなければいけないはずです。

ところが、似たようなものばかり幾つも探し、数を増やして安心しているような、味方を増やして強くなったかのような・・・

そんな借り物の安心のために、微妙な違いには目を反らし、「みんな一緒だね」なんて言っていたのでは、個性とか信念とか、そういうものはいつまでも育たないと思うんです。