その人らしさ

ある高齢の女性が田舎町に一人で暮らしていまして、その娘さんが度々様子を見に訪ねるそうなんです。

体のことも心配だし、一人で寂しかったり、炊事洗濯も大変だろうと思って訪ねるのですが、ちっとも歓迎される様子がない、との事。

それでも娘としては放っておけず、一緒に暮らすなり、福祉施設に入るなりするように誘うのだけれど、頑に拒否。
なんとか説得してヘルパーさんに時々来てもらうようにはなったけれど、どうもそれも本当は嫌で仕方ないそうです。

結局ヘルパーさんが来なくても、自分で自分のことは全部やってしまう。
部屋の中もきれいで、食事も自分で好きな物を作って食べ、食欲がなければ食べない。
他人の私から見れば実に健康的な生活だと思うんですが、やはり家族としては心配なことでしょう。

医学的に見れば動脈硬化だとか高血圧だとか、いろいろ問題点はあるそうですが、それくらいの歳になれば血管が固くなるのも当たり前で、その結果一生懸命血圧を上げて生きようとしている、生命力旺盛じゃないか、とも思うんですけどね。

それよりもとにかく、人の世話を受けたがらなくて、娘さんとしては困っていたそうです。

とにかく自分のものを触られたりするだけで嫌なんだそうです。

だけど娘さんやヘルパーさんがやってきて、家の中のものを触るものだから、挙げ句の果てには「○○と□□がなくなっている、あんたが盗んだんだろう」みたいな言いがかりをつけ始めるそうなんです。

そんな様子をみて周りの人は「認知症」になってしまったと考えるのですが、それは本当は、とにかく自分の好きにさせてくれ、そして自分の生活リズムや自分の領域に入り込まないでくれ、という思いの現れなのです。
というのは、そのお母さんの様々なエピソードを聞いた時、明らかにそのお母さんは自分の世界を大事にし、誰にも邪魔されたくないタイプの人だと思ったのです。

「体癖」でいうところの「開閉型・9種」というタイプです。
それで、色々とその娘さんに、
「『盗まれた』って言ったって、本当は大事なものを自分で隠しているんでしょう?」
「何十年も前の出来事を、今でもつい昨日の事のように覚えてるでしょう?」
「他人から見ればゴミのようなものでも、大事に保管してるでしょう?
汚れてるからといって勝手に捨てたり洗ったりしたら激怒しますよ」

・・・などと尋ねてみたら、娘さんはビックリして、目を白黒させているわけです。
何でそんなことが分るのか、と。
全部当たってる、と。
とにかくこういうタイプの人は、頑に自分の世界というものを持っているものです。
そしてその自分の世界を完璧に全うしたい、という欲求が強いのです。

別に他の人にそれを分ってもらえなかろうが、認めてもらえなかろうが関係なく、ただ自己完結したいだけなのです。

いや本当は完結などしたくなく、永遠に追い求めていたいだけなのかもしれません。
そしてそれを追い求めている限りは元気なのです。
追い求めることを強制的に辞めさせられると、途端に弱ってきます。

だから無理矢理施設に入れたり、長期入院を強制したりすると途端に具合が悪くなってきます。
先ほど書いた「認知症」的な言動が出てくるのは、そのせいなのです。
だからその高齢のお母さんは、いつまでも一人のほうが本当はいいはずです。

もしかしたら、最期の瞬間まで、一人がいいのかも知れません。
野生の動物などの場合、最期は誰もいないところへ姿を隠すでしょう?
そういう野生動物のような感性を、そのタイプの人は持っています。

最期の最期まで、自分の部屋で、自分の大事なものに囲まれて、誰にも邪魔されず、そして自分の味付けで明日の煮物を作り置きし、周りにギャーギャー騒がれることもなく、眠るように旅立つ・・・
もしかしたら、そういう最期の迎え方が幸せな人だって居るんじゃないか、と思うんですよね。

現代社会ではそういう最期の迎え方は、その後の対処の問題などもあって、難しいのかもしれません。

だけど私は、そういう最期を「孤独死」などというネガティブな言い回しで悪い物だと決めつけたくはない、と思うんです。

その人らしい生き方があれば、その人らしい死に方もあると思います。

どんな最期を迎えるか、そしてどんな老後の過ごし方をするか、それは決して「見る側」の感性だけで決めてはいけないものだと思います。

 

<追記>
その娘さんは、その後も万が一のことがないよう、定期的に様子だけでも見に行っておられるそうです。

※「体癖」については、こちらのCD&テキスト、または講座DVDで学ぶことができます。