信じるべきもの

近年、有名人が霊能者や占い師などに「洗脳」されている、といういような話題をよく耳にします。

 

私は霊能者でも占い師でもありませんが、過去に何人か、気とか神秘系の先生にお世話になったことがあります。

そんな中・・・整体などの世界でもそうなんですが、そういう先生の元には、芸能関係の方々もけっこう出入りしているんですね。

 

いろいろ話を聞いていると、芸能人の方々っていうのは、ほとんどがそういう人との付き合いを持っているものなのかな・・・と勘ぐってしまう程でした。

 

まぁ実際は、そこまでではないのかも知れないけれど。

でも、テレビである宗教団体絡みの話題を、厳しい顔で批判しているコメンテーターが、実はある霊能者の元に足しげく通っていたことを知った時には、ちょっとガッカリというか、驚きというか・・・

 

きっとその人は、「私は正しいものを信じているんだから」と、特に気にしていないんでしょう。

それに、全ての霊能者/占い師が人々を洗脳して迷惑をかけているわけでもないんでしょうし、何を信じようが本人の自由ですしね。

 

だけど実際、芸能人の例なんて氷山の一角で、一般人の間でも日常的に、身近なところでも、この手の「問題」はいろいろと起こっていると思うんです。

そしてそれは、最も根本的な原因をたどれば、本人の中にある「依存心」が発端となっていることは間違いないと思うんです。

 

もちろん誰にでも、何か・誰かに頼りたい依存心はありますし、あって当然だと思うんですが、それはあまり肥大させないよう、充分に気をつける必要があると思うんです。

 

その誰にでもある『依存心』、そしてもう一つ、『被害者意識』を増大させることが、洗脳の始まりなのではないかと考えられるからです。

 

ほとんどの人が、占い師や霊能者に鑑定してもらう時には、「どうか当てて欲しい」と強く願っているものです。

わざわざ、外してほしくて霊能者のもとを訪ねる人などいないでしょう。

 

みんな、自分の悩みの原因と解決策を教えてもらいたくて、しかもできるだけ早く、今すぐにでもそんな人に出会いたくて訪ねるわけです。

そして「目の前にいるこの人が、私の過去や未来をも言い当てる、本物の能力者であってほしい」と願っているはずです。

 

しかしそんな思いが強いせいで、多少のズレがあったとしても、ある程度当てはまる事をその人が言えば、「当たってる!」と思い込んでしまうようになるのです。

「あなたはこの半年間、同じような失敗を何度も繰り返していますね」

と言われれば、無理矢理にでも、自分の半年間の失敗を「同じような失敗」として括ってしまいます。

 

例えば失恋したこと、仕事上のミスで上司に怒られたこと、間違い電話をかけてしまったこと、電車の中で感じの悪い乗客が近くにいたこと・・・全て「人間との関わりで失敗した」こととして括ってしまう。

冷静に考えればそれぞれ別々の、誰にでもある失敗なのに。

 

また更に、「この先3ヶ月間はまだ運気が悪いから、充分気をつけないといけませんよ」と言われれば、その1ヶ月の間に起きた些細な失敗さえ、「あの霊能者が言い当てた!」と思い込んでしまうわけです。

逆に、特に失敗することがなかったとしても、「あの霊能者の忠告のおかげで、充分気をつけることができた」なんて結論づけてしまうわけです。

 

ましてや、目にみえないもののせいにされれば尚更です。

悩みを抱えている人は必ず、「どうして私がこんな目に遭うんだろう」という思いを持っています。

そんな時に、「悪いのはあなたの先祖の霊ですよ」「原因はあなたの前世での罪にあるんですよ」と言われれば、最初はとても恐いかもしれません。

 

だけど、その裏側には必ず、「霊のせいだったんだ、つまり悪いのは私自身じゃなかったんだ、」という安心感も同時に湧いてくるのです。

その安心感は、そう言い当ててくれた霊能者に対する安心感にすり替わります。

「分かってくれるのはこの人だけだ」という信頼感にすり替わります。

 

それをさらにかき立てるのは、「敵」をつくることです。

なかなか悩みをわかってくれない身の回りの人のことを、悪者にすることです。

 

「あなたの親が、あなたを不幸にする元凶ですよ」とか、「あなたの友達があなたをおとしめ、悪い世界に引きずりおろそうとしている」とか。

 

それは身近な人であればあるほど利用しやすく、「私が不幸なのは、身近に敵がいるからだ」と、ますます被害者意識を高め、「私のせいじゃないんだ」という安心感と霊能者への依存を高めます。

あるいは「あなたの周りに、あなたのことをいつも邪魔する人がいます。前世であなたに苦しめられた人です」…なんて言われればイチコロです。

真っ先に、自分が苦手としている人や、仲の悪い人のことを思い浮かべることでしょう。

そしてますます「何故わかったんですか!」と、その霊能者に心酔することになってしまいます。

 

・・・そもそも、先祖だ前世だと言われても、自分ではどうしようもありません。

否が応でも、その霊能者を頼らざるを得ない、そんな仕組みになっているわけです。

 

だから霊とか前世での罪の話っていうのは、いつも不気味でオドロオドロしく描かれ、語られるわけです。

恐怖感をかきたてておいて、依存心を高めようとする。

 

だけどそもそも、その依存心は自分自身の内側にあったものなのです。

それに火をつけるのが「洗脳」というものなのでしょう。

 

全くその気がない人を洗脳するのは、よほどの技術がないと難しいものだと思います。

ただ、元々依存心の全くない人なんて、まずいないと思います。

だからこそ、自分の中に潜んでいる「依存心」や「被害者意識」には、常々目を光らせておく必要があるんだと思うのです。

 

依存心や被害者意識が強い人は、ハッキリと、具体的な忠告をする霊能者や占い師を好みます。

むしろ非常識な忠告をしてくれるほうがいい。

 

「全身明るいピンクの服で覆って悪霊を追い払いなさい!」とか、

「毎日高級料理を食べて魂を浄化しなさい!」とか。

 

非常識だからこそ、「この人は普通とは違う。特別だ!」と思えてしまうんでしょうね。

そして、かなり毒舌を吐く人、過激な社会批判や人物批判をする人を好む場合もあります。

自分の苦手な人や、自分がなじめない社会のことを、自分のかわりに糾弾してくれるからです。

 

逆に嫌われるのは、「自分でよく考えて答えを出しなさい」とか、「迷った果てに自分で下した決断があなたの答えですよ」とか・・・

そう言われると、見捨てられたような気分になるんでしょうね。

 

近頃はテレビでも雑誌でも、そしてインターネットでは特に、『スピリチュアル系』の情報が多いですね。

きっと良い面と悪い面、両方があるんだと思いますが、とにかくそこに「依存心」「被害者意識」が強く傾くと、つい自分を見失うことにもなりかねません。

 

 

随分と偉そうなことを書いてきましたが、今みたいに流行るよりもずっと前に、私自身がそうしたスピリチュアル系の世界にも傾倒し、ともすると「洗脳」されていたと言える程に入り込んでいた経験があるんです。

そんな私自身の、恥ずかしい体験談を踏まえての話なんです。

 

そんな経験の中で、「私は宗教とか嫌いだから、大丈夫」とか、「簡単に洗脳される人なんて、心が弱いんだよ」なんて言っている人にも何度も出会ってきました。

私自信もそう思っていたのでしょう。

 

 

だけどそう言いながら、占いにばかり判断を委ねていたり、高額な開運グッズなどを身につけていたり、「パワースポット」のような所にばかり行っている人もいます。

それこそ「私は正しいものを信じている」と思っているのでしょう。

 

何かを強く信じている人というのは、熱い言葉と行動とは裏腹に、どこか焦点の合わない(実際に眼球の動きに特徴がある)目をしています。

 

確かに一点をしっかり見ているんだけど、微妙にぶれながら「探している」ような目です。

それは自分の内側から放たれる目の輝きとは違う、「外側」を追いかけている目です。

 

某霊能者にかつて洗脳されていたという人が、テレビで饒舌にその経験を語っているのを見たことがあります。

その人は未だ「探している目」をしていました。

実際には「信じるものを変えた」だけなのかもしれません。

本当の自分を取り戻すのは、とても大変なことかもしれません。

 

ともかくこうしたことは、霊能者や占いに限らず、健康法とか、整体とか、自己啓発とか、教育とか・・・にもあることだと思います。

とにかく最も信じなければいけないものは、自分の内側にあるもの、自分自身の力とか、自分自身の希望とか、そういったものだと思うんです。

 

「そんなもの、信じるに値しない」という人もいるかもしれないけれど、それならば少しずつ、丈夫にしていくしかないと思います。

赤ちゃんが少しずつ歩き始めるように、泳げない人が少しずつ水に慣れていくように、外国人が一言ずつ日本語を覚えていくように、少しずつ、身につけていくべきものだと思います。