分厚い理性

最近、有名人の麻薬所持/使用による逮捕の話題が次々報道されています。

私自身はもちろん、知り合いにも経験者はいないと思うんですが、テレビとかで聞く話によると、麻薬には、「心の留め金」を外しちゃうような効力があるものが多いらしいじゃないですか。

だから服用すると、自分を抑えていた理性が飛んでしまうらしいですね。
中には、普段とても穏やかな人が怒鳴り声を発したり、いつも「堅物」で通っている人が下品なことばかり言ったり、行動に表したり、というようなこともあるという話です。
逆に言えば、ほとんどの人がそれだけ自分を抑えているっていうことですよね。

もちろん麻薬が良くないのは言うまでもないし、そもそも自分を抑える理性が無くなってしまっては大変なわけです。

ただその「理性」というのも、あまりに強すぎると自分を殺してしまうことになります。

すると自分は「殺されまい」として必死の抵抗をする。
それで色々問題行動を起こしたり、あるいはトラブルを「引き寄せ」たりするわけです。
その理性では適わないないような、理性では解決できないようなことを引き起こして対抗し始めるわけです。

理由の分からない異常行動を起こしたり、理由のわからない病気もその手段の一つだと言えるでしょう。

 

理性というのは、その本当の自分が暴走してしまうことを抑えるために覆いかぶさっているものであって、本当は主役になるべきものとは違うはずです。

だけど、その覆いかぶさる理性が分厚すぎる人はとても多いようです。
そういう人は当然、困った時にも理性で処理しようとします。
普段から鍛えられた理性の力はなかなか強靭で、なおかつ頭がいいのです。

なので、理性が理性でないフリをすることもあります。

その代表格が最近多い「心のなんとか」とか「スピリチュアルなんとか」というタイプのもので、その分厚い理性でもって「潜在意識のクリーニング」「魂の声を聞くワーク」なんていうものをやっていたりする。

頭のいい理性は、そういうものも難なくこなします。

「これで本当の自分の声が聞けた」「これでこのトラブルの意味も分かった」なんて自分を納得させることなんて朝飯前。

だけどいよいよ本当に殺されそうになった本当の自分は、最後の抵抗として理性も働かないような事態を自分自身の身に起こすしかありません。
それはとても辛いことでしょう。

今までの自分のアイデンティティが一気に崩れ落ちそうな、とても冷静ではいられないような状態かもしれません。
でもそれこそが、本当の自分の声なのかもしれないのです。

矛盾するようですが、「これが本当の自分の声か・・・」なんていう考えすらうかばないことでしょう。

そんなふうに考えられるような状態だとしたら、それはまだまだ理性の領域なんです。
最近は「泣くことは心にいい」とか「涙を流すセラピー」というものもありますが、本当は、泣く時というのはとても情けなく、みじめなものです。

「心にいい」とか、「これで心が浄化される」とか、そんなふうに自分に酔っている余裕もないくらいです。
でも心の奥の本当の部分には、それくらい理性をなくして取り乱してみなければ触れることができない程、私達の心は分厚すぎる理性に覆われていることが多いんじゃないでしょうか。

 

仮にも「健康」の誘導を仕事にしている私がこういうことを言うのは矛盾しているのかもしれませんが、トラブルや病気はそうやって、繰り返し私達の身の上に降り掛かってくるものなんじゃないか、とさえ思うんです。