援助者の心構え(整体的応急手当て)

整体的な応急手当てには本当にいろんなものがあって、私もそのうちいくつかを習いましたが、でも実際には活用する機会が一度もなかった、というものもあります。

たとえば、溺れた人への応急手当て。

既に助けられて陸に上がった後の処置のことですが、まず水を吐かせ、そして意識を取り戻させる操法というのが、整体法にもあるんです。
でも、実際にそういう現場に出くわしたことはありません。
なので私には、本当にこの方法がどの程度有効なのかが分りません。

そういう理由もあって、こんどの整体教室で紹介することは控えたいと思うのですが、ただ、この操法を行う上での注意点というのがあって、それがとても私には興味深く思えるんです。
それは、この操法を行って意識を取り戻した時に、決して「よかったね」とか、「もう大丈夫だ」などと言わないこと、です。

逆に、「何をやっているんだ!バカ野郎!」などと怒鳴りつけるか、思い切りほっぺたをひっぱたいて「おい!しっかりしろ」と一喝すべきだ、というのです。

そういえば、水中で救助に向かった時には、動転している本人の気を鎮める目的で、相手の体を一旦水中に沈めるとか、思い切り殴るなどする必要がある、と聞いたことがあります。
溺れた人が救助者にしがみついて、二次遭難が起こることを防ぐためだそうです。
だけど、整体の応急手当てについては、既に陸に上がってからの話です。
気絶していた人が目を覚ましたら、普通は「良かった~!」って思ってしまうじゃないですか。
周りにいる人たちから、拍手も起こるかもしれません。

だけどそんな中で、「バカ野郎」と怒鳴ったり、ビンタをしたり・・・普通、なかなかできないと思うんですよ。

少なくとも、これを習った時には、そんなことできないだろうなぁ…などと私は思っていました。

周りの人には、ひどい奴だと思われることでしょう。
本人にも後々、恨まれるかも知れません。
「何もこんな時に、そんな言い方する事ないじゃないか!」って。

私だったら、救急車で運ばれた後に、周りの人一人一人に言い訳して回ってたかもしれないですよ(汗)
「あ、あれも、救命処置の一環だったんですよ、わざと言ったんですよぉ…」とか(笑)
本人にも、あとで言い訳しににいくかもしれないですよね。

だけど、そんな弱腰じゃダメなんでしょう。

そんな時でも決して気をゆるめることなく、全身全霊で一喝する。
周りの人の目だとか、自分の立場を気にしながらの「喝」では響かないのでしょう。
ハッとその場の空気が凍り付くような、鬼気迫る「喝」が必要なんだと思うんです。
実体験がないので確かなことは言えませんが、溺れて気を失った人というのは、体の力が抜けて弛緩した状態です。

括約筋の力が入らず、肛門もズブズブの状態の人ほど危ない、とも言われています。
つまりそれは、心臓の働きも弛緩している状態です。

そのような弛緩状態では回復する力が働かないはずです。
だからビクン!と身が引き締まるような鋭い緊張を与え、たるみ切った心臓を一気に収縮させることが必要なんだろうと思うんです。

私はこのことを学んだ時に、溺れた時に限らず、整体を行う者の心構えを教わったような、人の命に対する厳粛なる立処を教わったような、そんな気がしたんです。

それは人を助けるということは、自分がどのように映るかとか、相手にどうなって欲しいなどという、自分の欲求を絡めて行うべきではない、ということです。

そして、自分の心が動揺しているようでは、本当に助けることはできない、ということです。
相手が助かったのをみて、「ほ~っ」としているようではダメなのです。

それはつまり、「助からなかったらどうしよう」という不安・動揺のもとに処置をしていたことの証だからです。
そういうものは、必ず無意識のうちに相手に伝わってしまいます。

もっと言えば、それはその不安・動揺から逃れたいという、自分のための処置でしかないのです。
そうではなく、ただただ相手のために一心に行う、プロの整体というのは、そういう気迫によって行われるものだという教えが、この応急処置の方法の中に含まれているように、私は思うんです。
人助けをしたい、役に立ちたいといいながら、実は自分がそれで満足したいだけだったり、何もしないと不安だから何かしていたい、というものだったり・・・ということもあると思うんです。

もちろんそれでも、相手にとって力になれば結果的には良いことなんでしょうが、直接人の体、生活に関わるようなセラピーを行うに当たっては、自分の感情に左右されているようではダメなんだと思うのです。

そういう意味で、厳しい修行というか、経験の必要な世界なんだな、ということを改めて思います。