大人の心育て

最近、一人の高校生の話をじっくり聞く機会に恵まれました。

とても新鮮でした。

 

学校の先生とか、中高生の親にしてみれば、毎日触れ合っているわけですから、特に新鮮でも何でもないんでしょうけどね。

私にとってはとても貴重な機会。

 

彼らの新鮮で純粋な感受性には、驚かされるばかりです。

そして、私達大人が思う以上に、彼らはいろんな事を考えていて、そしていろんなものから多くのことを吸収しているんですね。

 

自分の将来のこと、そして将来進むであろう道についての情報、親の言動、言葉に現れない親の思いとプレッシャー、ケータイやパソコンをはじめ、現代のネットワークやメディアについて…

 

我々大人の目には見えてこないものまで、彼らはたくさん見ていて、そして未だ経験していないもの、新しいものにも常に目を光らせています。

そして、私達大人の何倍もの「吸収力」でもって、それらを身につけていくのでしょう。

 

・・・と、話を聞いているうちに、そんな事を感じ始めたのでした。

 

そして、大人としてのアドバイスでもしてやろうかな…なんて、少しでも思っていた自分が恥ずかしくなりました。

 

 

私達大人には、彼らよりも多くの経験があります。

だけど、彼らは、私達大人が経験したことのない世の中で、おそらく私達よりも多くのことを経験しようとしているのでしょう。

そして間違いなく、それらは私達が経験したことのない、新しい経験ばかりのはずです。

 

いつの間にか、新しいことへの意欲や興味を失った大人達からしてみれば、そんな彼らの「新しい体験」や「新しい考え方」「新しい生き方」が、恐いものに思えて仕方ありません。

だからつい、それら新しいものが「間違い」に見えてしまうんですね。

「将来の後悔の元」に見えてしまう。

 

皮肉にも、言葉の使い方は人生経験の多い大人のほうが上手ですから、うまいこと理屈を整えて、「そんな考え方は間違いだ」とか、「そんなに世の中は甘くないぞ」などと説き伏せようとする。

それでもダメなら、挙げ句の果てに怒鳴りつけてみたり、泣いてみせたり。

親にそれをやられては、子どもはもう黙るしかないですよね。
(そして何も言い返せない分、体や心を内側から壊していく子や、異常な行動に走る子もいます。)

 

でも本当は、新しいものがわからないから、恐いだけなんです。

だから自分が過去にしてきたことと、同じようにさせたくなってしまう。

 

だけど私達の経験は、全て「過去のもの」なんですよね。

もちろんそれが無駄なわけではないけれど、彼らが今後経験するであろう、未来の経験は持っていない。

 

大人はつい「将来のことを心配して」などと言いながら、未来の失敗を恐れているけれど、その「失敗」こそが最大の経験となるはずです。

ただそれは、失敗するだけじゃなくて、その「失敗から自力で立ち上がること」が力になる、という意味ですが。

 

だから私には「世の中はそんなに甘くないぞ!」なんていう言葉が、「世の中が厳しいせいで、私はうまくいかなかった」と、自分の失敗を世の中のせいにしている人の言い訳に聞こえてしまうんです。

 

若い人たちを前にして、まるで人生を知り尽くしたかのような顔をする前に、もしかすると私達大人は、彼ら以上に多くのことを意識して学び、心を拡げ、そして彼らを見守っていけるような大きな心を自ら育てていく、そんな必要があるんじゃないか、と思うんです。