Only One

好き嫌いがハッキリしているとか、こだわりが強すぎるとか、私は時々そういうふうに言われることがあるのですが、ある程度は自分でも自覚しています。

というよりも、私は『好奇心の範囲』が狭いのかもしれませんね。

いろんなものに興味を持って手をつけていくというタイプではなく、興味を持ったものに対してはいつまでも追いかけて行く、しかしそれ以外のものにはなかな興味を持たない・・・・と。

それでは自分の世界が広がらない、という考え方もあるかもしれませんが、ピザ生地を作る時みたいに薄っぺらく伸ばしていったって、理解が深まっていないんでは、本当に広がったとは言えないんじゃないか、と思うんですよね。

たとえば・・・個人的な話になりますが、私は『鼓童』という和太鼓のグループが好きなんですが、かといって和太鼓全般が好きなわけではないんです。

もちろん、少々興味はありますが、でも、あくまでも『鼓童』の演奏を聴いた時に感動したのであって、他のグループが同じような曲演奏していたとしても、そうはならなかったと思うんですね。

実際、何組かの和太鼓グループの演奏も聞いてみましたが、やはり何か違うんです。

やはり私にとっては、「鼓童にしかない何か」じゃなきゃダメで、「同じような誰か」じゃダメなんです。
だけど私が「和太鼓の『鼓童』が好きなんですよ」という話をすると、「○○さんの和太鼓もいいですよね」とか、「今度、□□の和太鼓の演奏会があるので、是非」というような感じで勧められてしまうんです。

もちろん、勧めてくださる気持ちはとても嬉しいのだけど、でも私にとっては「他の誰か」ではダメなんです。
優れた演奏をするプロのグループも、世界的に有名な演奏者も他にはいるけれど、やっぱり微妙に違うんです。
そしてその「微妙な違い」こそが、絶対に他とは違う譲れない部分でして、なかなか返答に困ったりもするのです(笑)

よく考えてみたら、人との付き合いなんていうのもそうですよね。
恋愛とか結婚となると尚更です。

「どんな人が好きか?」と聞かれれば、それぞれに「理想のタイプ」というものはあるでしょう。
また、過去の恋愛を振り返ると、何となく同じような傾向を持つ相手を好きになる、というのもあるでしょう。

だけどその瞬間瞬間を切り取ってみると、絶対に「その人」じゃないとダメだったはずなんです。

もちろんいい加減に付き合っていた場合は別として、本気で好きになった場合の話ですよ。
「優しい人だから」とか、「楽しい人だから」とか、「ルックスが好みだから」...と言っても、「優しい人なら別の人でもいい」っていう訳じゃないでしょう。

仮にその人にふられてしまったとしても、「じゃぁ、別の優しい人でいいや」とか、「似たような顔立ち、背格好の人がいればそれでいいや」なんていうふうには思えないはずです。

やっぱりそこには、その人でなければならない何か、があるわけです。
「オンリー・ワン」なわけですよ。
しかもその相手というのは、世の中で「優しさナンバーワン」だったわけでも、「楽しさナンバーワン」だったわけでもないはずです。

ましてや、見た目がナンバーワンにカッコいいとか、奇麗とかいうわけでもないでしょう、多分...。

「ナンバーワンよりもオンリーワン」だなんて、流行の歌にもなった使い古しの言葉ですけども、本当のオンリーワンっていうのはそういうことでしょう。

「他の人には無い何か」という。

 

だから、本当のところはよく分らないんですよ、他の人にはないものなんだから。
その人の魅力とか、その人に惹かれる理由とかって。

で、わからないものだから、「優しい人だから」「一緒にいて楽しいから」なんていう、いろんな意味に当てはまる『最大公約数』みたいなものでぼかしをかけて括ってしまいがちだけれど、でも実際には、その似てるようだけど微妙に違う『微妙』の部分に、その人の核があるはずなんです。

これは、人の体や心の問題を解決して行く上では、最も大事なことだと思うんです。

その人の悩みの本質っていうのは、その人のものでしかないんです。

仮に人間関係で悩んでいるって言ったって、他の人間関係の悩みとはやっぱり別物で、それはオンリーワンなんですよね。
それを「人間関係の悩みにはこの方法!」なんていうベストセラー本で解決しようとしたって、やっぱりそれは「ぼかし」をかけて画像の粗を見えなくしたような感じでしかないと思うんですよね。

フォトショップでうまく加工した写真のような...。
そもそも多くの人に受け入れられるメソッドっていうのは、やっぱりどこか最大公約数的なものだからだと思うんですよ。
only oneじゃなくてeveryone向けのものなわけだから。

それが悪いとは思わないし、当塾でお勧めしている「体癖」だって最大公約数みたいなものだけれど、でも本当のところは、割り切れない端数のところにその人の「個」があると思うんです。

体の問題だってそうなんです。

薬で痛みを止めるなんていうのは最大級の「ぼかし」なわけですし、こっている筋肉をほぐして楽にする、なんていうのも似たような物でしょう。

みんな同じように背骨を真っ直ぐにするなんていうのも、まさに最大公約数ですよね。
その人のオンリーワンっていうのは、本当は、個と個のやりとりの中でふと感じられるものなんじゃないか、と思うんです。
当塾が「整体」というものにこだわっているのも、そういう理由で、それは公約数に当てはめる作業ではなくて、何にもあてはまらない、「個」をみつけていく作業なんです。