境遇に腹を立てる人

もう20年近くも前の話ですが、私が「療術」の仕事を始めたばかりの頃、親戚のおばさん宅に通って施術をしていたことがあります。

そのおばさんは、「私は足が痛いから〜〜」というのが口癖になっていたので、随分具合が悪いことは知っていたんですが、私がそのような仕事を始めるという噂を聞いて、電話してきたのです。
定期的に、家まで来てもらえないか?と。

実はそのおばさん、普段から親戚一同に少々煙たがられていまして、というのも、愚痴と陰口が非常に多い人なんですね。
まぁ、陰口も聞こえるように言うんで、もはや陰口じゃないんですけど・・・

だからかなり抵抗もあったんですが、そうは言っても血のつながりのある親戚だし、子どもの頃にもよく世話になった叔母さんだし、勉強にもなるしで、引き受けることにしました。

いざ通い出すと、やはり案の定、いろんな愚痴やいろんな人の陰口を散々聞かされました。

叔母さんが愚痴を言いたくなる気持ちも、解らなくはないんです。
幼い頃から複雑な家庭環境に育っているし、結婚後もしばらく兄弟を居候させて面倒をみていたり、娘はつきっきりの介護が必要な重度の障害を持っている、夫は働き盛りの時期に重病にかかって他界・・・と、まぁ大変な半生だったのです。
でも、そのことは親戚一同みんなわかっているんだけど、やっぱり愚痴や悪口、自分の家族のことまで悪く言われたんではいい気がしません。

だから親戚たちもだんだん近寄らなくなってしまったんですが、こんどはそのことが余計に腹立たしく感じるわけです。
そんな恨み節もたっぷりと聞かされていました。
「私は足まで痛めて、こんな酷い目にあっているのに、なんて薄情な人たちなんだ」と。
そんな恨み節が高じてくると、その恨みの矛先は世の中全体へ、そして最終的には「神様」へと向かっていきました。
何度か、「なんで神様は私をこんなひどい目に遭わせるんだ!腹立つわぁ!」と言っていました。
それで、ある時にそれを聞いて、私はピンと感じたことがあるんです。
その叔母さんの恨み節は、自分に注目を集めるための手段なんだな、と。

その為には、もう周りの人が無視できないくらいの不幸な境遇が必要なんだな、と。
足が痛くて歩けないというのも、その一つなんじゃないかと。
実際、とっさの時などには歩けるんです。
とても人目を気にする人だったので、近所の人が訪ねて来たりすると小走りで迎えにいったりする。

でも、兄弟にそのことを指摘された時には、むきになって激しく怒っていました。
「神様」にまで怒りの矛先が及んだのも、そういうことなんです。
自分の不幸をアピールしても、周りの人が結果的に離れていった。

だからこんどは、その存在もよくわからない「神様」を持ち出してくる。
「腹立つわぁ」なんて言うのは、裏を返せば神様の存在を認めたということで、その神様に一生懸命自分の不幸を訴えていることの裏返しですよね。

「こんなに酷い目に合ってるんだから、何とかしてくれますよね? 私は悪くないでしょう? 私は何も反省しなくていいでしょう?」っていう。

だから、療術なんかで治ってもらって困るのは、本当はおばさん本人なんじゃないか?なんてことを思うようになっていったのです。

治っちゃったら、もう親戚の人たちに見せつけるものもない。
特別扱いしてもらうための理由もない。
いろいろな物事を全部自分で背負わなければならない・・・
実際、足の痛みは全く良くならず、だんだん私に対する不満も募っていたようです。
結局ほどなくして、「冬が近くて、雪がふると来るのも大変だろうし、駐車場もないし」という理由で、おばさんのほうから断ってきました。

当時の私にとっては、結局おばさんにとって何の足しにもならなかったこととか、愚痴を聞きっぱなしで何も言えなかったこととか、自分の力の無さを思い知らされたような気分でした。

だけど振り返ってみると、心の奥に潜む病の本質みたいなものを、リアルに見ることができた貴重な経験でもありました。