自分を苦しめる「気遣い」

ある人が、「あなたは人の上に立つようなタイプではないから、人の言うことをよく聞いて、陰で支えるようになりなさい」と親に言われて育ったというのです。

そういうものなのかな、そういう人生が正しいのかな、と何となく思いつつ大人になっていったのだけど、今までどんな仕事をしても「やり甲斐」を感じたことがなく、結局長続きしたことがないのだそうです。

それでその度悩んでしまって・・・おそらくその悩みというのは、仕事が楽しくないことの悩みと同時に、「楽しくない」と思ってしまう自分への情けなさや罪悪感といった両方の悩みがあるのでしょう。

 

親に言われた通り、自分は前に出ず、出しゃばらず、自分のやりたいことなど考えず、正しい堅実な道を選んだはずなのに、うまくいかない。

自分はもしかしたら、どうしようもないダメ人間なんじゃないか?・・・と思ってしまうのも無理はありません。
しかし最近になって、本当は、自分はそんなタイプじゃないのでは?と思い始めたそうです。

本当は、自分が中心になって、自分が人を引っ張って行くような、それこそ脇役じゃなくて『センター』に立つような、そんな仕事のしかた、そんな生き方をしたいという欲求が、本当は昔からあったことに気づいたのだそうです。

にもかかわらず、今まではずっとそれはいけないことなんだと、無理矢理押さえこんで表に出さないようにしてきた。
その結果、「本当は自分も中心に立ちたいのに」という思いは、実際に中心に立っている人に対しての嫉妬や劣等感に形を変えて、自分を苦しめてきたのです。
だからこれからは、もっと自分を表に出して、自分が中心に立ってやっていこう!と思ったものの、今までそうしてこなかったせいで、今度は自分を出すこと、自分が中心になって物事を進めることが恐くて仕方ない、というのです。
当分の間は、その決意と不安に揺れ動きながら、徐々に変わっていくしかないのでしょう。

自分が前に出ようとする度に、頭の片隅で「しゃしゃり出てはいけません!」という親の声が鳴り響くことでしょう。
当分は、その声との戦いです。

 
この話を、私は自分自身の経験とよく似ているなぁ・・・と思いながら聞いていました。

私自身も、「我が家の人間は代々、自分で事業を興そうとか、そういう家系じゃないんだ。ちゃんといい会社に入って、保険と年金をしっかりかけられる、それが正しい大人の生き方だ」というようなことを散々言われて育ってきた覚えがあります。

実際にはそう言われる以前に、もっと幼い頃から、そういう両親の考え方を何となく肌で感じてきたように思います。

それ以上に、常に何となく感じていたのは、特に父親が、経済的な理由などで本当は生きたかった学校に行けなかったこと、その結果、立派な会社には入れなかったこと、そして豊な暮らしができず、お金に苦労したこと・・・

そんなことへの悔しさと、お金持ちや上流階級と言えるような人に対して強い嫉妬心を持っていること、でした。
そして母は、とにかく上の人に歯向かうことなく、人の言うことをきちんと聞いてトラブルを起こさないこと、変わったことをしないことに強くこだわっていました。

母自身がそう言われて育ってきたようです。

 

それで、私は将来、とにかく安定した会社に入って、普通の真面目なサラリーマンになるんだなぁ・・・などと何となく思いながら子ども時代を過ごしていました。

しかしそんな思い込みが思春期の頃、不登校という形で崩壊し始めたんです。
本当はそうではない生き方に憧れをもっていて、そして実際、親の理想とは違う道を歩き始めました。

 

それでもその後も、そんな自分に対する罪悪感とか、自分は誤った道に進んでいるんじゃないか?とか、そういう不安は常につきまとっていました。

そしていつまでも自分に自信が持てず、自分で自分の成功をつぶすような失敗を繰り返しては、「何でうまくいかないんだ!」と悩む、そんな迷路の中で苦しんでいたように思います。

 
人は誰でも親の影響を受けて育つものです。

それは、親がしつけた通りに育つという意味ではありません。

仮に親が一言も口に出していないことでさえ、子どもは親の思想や、根底にある考え方を、その敏感な心で感じ取ってしまいます。
親に嫌われたのでは生きていくことができませんから、親の考え方に同意してしまうのです。
変な喩え話かも知れませんが、同僚同士のうわさ話ってあるでしょう?

会社のお局様的存在の女性が、「営業部のA子さんって、新人のくせに生意気で感じ悪いわよねぇ」と、陰口を言っていたとします。

すると自分は別に、生意気だとも感じ悪いとも感じていなかったとしても、立場上つい、「そういえば、そうですよねぇ」なんて口を合わせてしまう。
そしてお局様の目が気になって、A子さんには申し訳ないと思いつつも、冷たく当たるようになる・・・

そんな感じで、子どもは親に気を使いながら大人になっていってしまうんです。

親がお金持ちのことを悪く思っていれば、「自分がお金持ちになっちゃ申し訳ないな」と無意識のうちに思ってしまう。

親が「目立たないように生きていかなきゃ」と思っていれば、「あまり脚光を浴びるような生き方をしちゃいけないな」と思ってしまう。

親が異性関係で失敗し、いつも「どうせ男なんてみんな…」と思っていれば、「私だけ幸せな結婚をしたら、お母さんが可哀想だな」なんて思ってしまう。
もちろん、全て無意識のうちに思っていることです。

まさか自分が親に気を使って、その結果お金に困っているとか、親がかわいそうだから恋愛がうまくいかない、だなんて思っているわけではありません。
しかし少なからず、自分が抱えている問題・・・特に繰り返し同じことで悩むような人は、自分の中にある「親への余計な気遣い」に気づき、辞めていかなければなりません。

ただ、口で言うのは簡単ですが、実際には、その「気遣い」を手放すのは簡単ではありません。

お局様の目を気にせずに、A子さんに優しい声をかけるのはとても勇気のいることでしょう。

親の目を気にせずに結婚相手を選ぶことは簡単ではないでしょう。

ずっと持っていたお金に対する罪悪感を消していくのも容易ではありません。

自分らしくあろうとする度に、心の奥から「なんでお前は親の言うことが聞けないんだ!」という声が聞こえてくることでしょう。

しかし、私達が本当に自立して、自分らしく生きるということは、そういうことなのかもしれません。

それは親を責めるとか、親のせいにするのではなくて、自分が自分の足で立ち、親とは別の、自分の人生を築くんだという決意なんだと思います。

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