「気」と「手当て」(愉気)

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当塾の整体法は、一般的に「野口整体」と呼ばれている整体法の影響も受けているのですが、その野口整体のベースになっているものが「愉気」という概念です。

元々は「輸送」の「輸」という字で「輸気」と呼ばれていたそうですが、決して気を輸(おく)るというものではないということから、「愉快」の愉の字を当てて「愉気」としたそうです。

 

「愉気」といっても色々な側面があり、いろいろな捉え方がされているようです。

相手の体に手を当てて、気功法などのように気で体を元気にしていくもの…という解釈をする人もいます。

その技術を「愉気法」と読んでいて、当塾でもよくその愉気法を行っています。

 

しかし本当のところは、そのことだけを愉気と呼ぶのではなく、人と人が意識しないうちに繋がり合い、影響を受け合っていること、このことが既に「愉気」なのだという考え方もあります。

たとえば、特に会話を交わさなくても、目も合わさなくても、近くにいるだけで気持が落ち着くような人がいるでしょう。

逆に、同じ部屋にいるだけで圧迫感を感じるような相手もいます。

 

物理的な接触がなくても、声すら発することがなくても、お互いの存在感というか、そういうもので影響を与え合っているのです。

このように、目に見えないけれど、確実に存在し、誰もが持っているものを「気」と呼びます。

 

そしてこの「気」でもって、相手に働きかけていく技術が「愉気法」というものです。

技術というほどのものではないかもしれませんが、ただ手を当てるというのも、実際には手から何らかのエネルギーのようなものを手から出す、というものとは違うのです。

その目には見えないけれど、相手に影響を与えるもの、相手が安心し、心身が休まるような「気」の交流・同調を、手を当てるという行動によって起こしているようなものです。

 

ただ、この愉気の本質は、いくら言葉を連ねても説明が難しいのです。

それは言語で説明できる範囲のものではなく、言語以前、もっと本能的なものだからです。

簡単に言えば、スキンシップです。

赤ちゃんはお母さんに抱かれることで安心するでしょう?

これが単に、肌に何かが触れていればいいだけであれば、別にお母さんでなくてもいいはずです。

しかし実際には、お婆ちゃんでも、お父さんでもダメな時が多々あります。

やはりお母さんと子どもは、「気」で強く結ばれているのです。

赤ちゃんの頃は特に、その気に包まれて生きているのです。

そして大事なことは、お母さんのほうも、赤ちゃんの気に包まれているということです。

だから赤ちゃんを抱っこしていると、お母さんも安心するのです。

 

 

しかし本質的には、大きくなっても、大人になっても、やはり人間は皆、気によって繋がっています。

家族、友人、恋人・・・誰かの気を感じられないところでは、生きていけないのです。

たとえ同じ家で暮らしていたとしても、毎日のように顔を合わせていたとしても、その「気」が自分に向けられていない、互いに通い合っていないと、まるで母親に無視された赤ちゃんのように不安になってくるのです。

 

ただ大人の場合は、その「気」に対して鈍感になっていますし、理性でもって本質的な感情を覆い隠しています。

だから赤ちゃんのように素直に不安を感じたりはしないのですが、潜在意識では感じています。

 

赤ちゃんは母親の気が感じられなくなってくると泣き出します。

素直に不安を表現します。

しかしそれも無視され続けると、やがて病気を起こしてしまいます。

病気になると、普通の親は他のことを放り出しても看病に集中してくれますから、それでやがて満たされて治っていくのです。

 

しかし本当は大人も同じで、多くの病気の背後には、気の欠乏感があるのです。

だから家族なり親しい人などが気にかけてあげるようにすると、だんだんとよくなってくることがあります。

 

手を当てたりして「愉気法」をできればもっといいですし、家族がそれをできるのが理想的です。

本当は整体のプロよりも、家族同士で行って欲しいものです。

※気や愉気法については、DVDでも解説していますので、ぜひご覧いただき、実践してください。

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