痛みの効用

ものもらいの話で、目・鼻・口などの症状は、頭部で起こった問題の「出口」だということを書きました。

出口であるということは、これらの症状が起こることで、頭部に起こった問題を清算している、ということです。
これは目・鼻・口に限った話ではなくて、実は全身に起こる様々な症状が「精算」であるとも言えるのです。

腰痛だって、主に胴体部(内蔵や筋肉など)の疲れが溜まって、その胴体の端っこである腰を出口として表れた症状なわけです。

脚や腕の痛みだって、胴体部からあふれ出た疲労が末端の手足に出口を求めて表れているものである場合が多いんです。

つまり、これらの症状を痛み止めなどで止めたり、その腰や手足などの「末端の部分の問題」として処置をして症状だけを止めてしまうということは、外に流し出そうとする体内の問題を、もう一度逆流させてしまうことになります。

もちろん、こういう症状の時には「痛み」を伴います。
痛みがあるのは不快なことではありますが、痛みがあるからこそ、体は修正を始めます。

痛みは合図でもあり、修正が執り行われている証拠です。
その痛みだけを消すような処方は、自然な精算の働きを大きく鈍らせてしまいます。
なかなか「精算」が終わらないという人は、体に鈍りがある人です。

特に普段から痛みをごまかすような処方…アイシング、薬、矯正ベルト等がそれらにあたりますが、それらを多用している人に多いです。

そうでなくても鈍りの原因は多々ありますが、とにかくそういう人に対しては、外から痛みを与えることで、体の自然な働きを取り戻していかなければなりません。

整体の操法が時々痛みを伴うのはそのせいです。

眠ってしまっていた体の感覚を呼び起こすために、時には厳しい痛みを感じていただかなければならないことも多々あります。

気持ちいいだけでは、ただただ現状維持なだけです。
「変化」のきっかけにはなりません。

このことは、心の問題にもそのまま当てはまります。

心に痛みを感じるようになったということは、今まで自分でも見て見ぬフリをしてきたストレスや様々な問題に、いい加減に目を向けないといけない程になっていますよ、という合図なのです。
そして、同時に「精算」なのです。

たとえば、「これも修行だ、感謝しなきゃ」と傲慢な上司の元で我慢しつづけた社員が鬱になり、それをきっかけに退社して独立した・・・なんていう人もいます。

その人にとって鬱という症状は、無意識のうちに心身に溜め込んでいたものを精算するために必要なことだった、と言えます。

だから、これもその症状だけを抑え、逆流させると危険なんです。

既にもう満タンだから症状として出ているのに、さらにどんどん中に溜まって、膨れ上がってしまいます。

それは満タンになったタンクにさらに水を注ぎ込むようなものです。
やがてあちこちにひび割れがおこり、水漏れをおこすでしょう。
本物の鬱状態の人は、頭が痛い、眠れない、体が重い、下痢が止まらない、めまいがする・・・など、様々な症状も起こすようになりますが、要するにそれが水漏れです。

それでも、水漏れを起こしているうちはまだマシなのです。

それも合図のうちだし、漏れることで破裂を防いでいるからです。

しかしその水漏れの症状さえ、頭痛薬だの睡眠導入剤だので抑えていく。
それはつまり、補修テープを貼り付けてひび割れをふさごうとする、そしてまだ水を注ごうとするようなものです。

当然、やがて破裂します。
破裂した体や心には、もう「自然治癒力」などを働かせる力などありません。

これはとても危険なことです。
精神面でも、身体面でも、病因で大量に処方される薬が恐いのは、その薬がもつ毒性・副作用の面だけではありません。

それよりももっと恐いのは、その症状を押さえ込んでしまうことにある、と思います。

そもそも私達は、「痛み」を敵視しすぎる傾向があるのではないでしょうか?

本当は「痛み」とは、体・心を立て直し、成長させる効用を持っているものです。