病気の「役割」と「効用」

普通、病気というのは悪いもの、とにかく邪魔なものとして扱われていますよ。
「とにかく早く消し去りたい」、「どんな方法でもいいから治したい」、と。

しかし、当塾では、その病気にも「意味」がある、と考えています。
意味があるということは、「必要性」がある、と考えることもできます。

少々変わった考え方でしょうか??
多くの人が病気に悩み、苦しんでいるのに、「意味がある」「必要性がある」などと言われても、ピンとこないかもしれません。

むしろ不快感を覚えるかもしれません。

でもこの「意味」「必要性」こそが、「なかなか病気が治らない」「体・心のトラブルばかりくり返す」といった、切実な悩みの背景にある重要なポイントなんです。

どうぞもう少しだけ、この話におつきあいください。

 

 

■排泄、「体の大掃除」としての病気

悪いものを食べてしまえば吐く、あるいは下痢をする・・・このような中毒症状は「病気」ともとらえられますが、毒から身を守る防衛反応といえますよね。

だから吐き気や下痢を止めることよりも、いかにスムーズに出すかのほうが大事なわけです。

急な食中毒のような症状は出なくても、私達は普段から、気付かないうちに、身体に悪いもの、毒となるものを食べたり吸い込んだりしているものです。

 

少々の毒なら、尿や便、汗などで排泄されますし、特に身体を壊すようなこともありません。
しかし排泄しきれずに身体に残された毒がたまってくると、風邪をひいたり、何らかのアレルギー症状を起こすなどの不調が発生することになります。

 

しかしその症状自体が、体の中を浄化する『大掃除』のような意味を持っているんです。
ですから、この場合も症状を途中で止めることよりも、しっかり掃除を終わらせることのほうが大事です。

だから出せば出すほど、早く終わるものなんです。

排泄が必要なのは、食べ物や空気中に含まれる毒のことばかりではありません。
取りきれない疲労、打撲の衝撃、精神的な疲労や心理的な緊張なども含まれます。

逆に考えると、細かな排泄としての病気を時々起こしているおかげで、私達の心身は健康が保たれているわけです。

その症状だけを無理矢理止めてしまった人、或いは体の鈍りが激しい人の場合は、毒や疲れを大量に溜め込んでしまっているわけですから、それらの排泄も大掛かりになり、時には命がけの病気を起こさなければならないこともあります。

普段、風邪ひとつひかない、疲れ知らずの元気な人が、突然大病で倒れることがあるのは、こういうことです。

 

 

■心、体の軌道修正のための病気

蛇や蟹などが脱皮して成長していくように、私達人間も日々、細胞の入れ替えをし続けています。

そして、特に体や心の大幅な「リニューアル」が必要な時には、病気を通して大規模な入れ替えが行われるんです。

子供の病気に「麻疹(はしか)」「耳下腺炎(おたふく風邪)」「水疱瘡」がありますが、これらはほとんどの子供が経験する病気です。
よく知られている通り、子供の体の成長のためには「必要な」病気なんです。

(これらを正しく経過していないと、呼吸器、生殖器、腎臓、肝臓の発育が完全になされないまま大人になってしまうことがあります。)

 

心や体が大きく変化を必要としている時、それには何かきっかけが必要です。
そして、今までの状態を一旦壊す必要があります。

家を建て替える時のようなもので、古くなった家を壊してからでないと、建築を始められないですよね。

 

その『古くなった家を壊すこと』にあてはまるのが、病気なのです。

不思議なことに、転職する時、結婚する時などのように生活環境を大きく変える前には、風邪をひくことが多いです。
これも、新たな生活に向かうために、今までの自分を一旦脱ぎ捨てる『脱皮』と言えますよね。

 

岐路

人は病気になると、色々なことを考えるものです。
今迄の自分を見つめなおす機会でもありますよね。

病気ばかりでなく、様々な失敗やトラブルというのも同じです。

その時には少々痛みや苦しみが伴いますが、しかし私達人間は、それらを通して、まさに脱皮のように一皮むけて、一回り大きく成長することができる・・・

大きな病気をした時、あるいは大きな問題を抱えた時というのは、一歩成長するための「人生の節目」のタイミングなのかもしれません。

 

■心の中の訴えの代弁としての病気(ストレス)

精神的なストレスが元で病気になる、ということはよく聞く話です。

「ストレス」というものについては、色々な解釈があると思いますが、最も多いのは人間関係によるものでしょう。
そしてその多くは、自分の本当の気持ちをぐっと押さえている、周りの人に合わせ過ぎている、といった「本心の抑圧」によって起こっています。

もちろん、社会生活の中では、自分の本心を抑えなければならないことも多々あります。

人はある程度自分を抑えることはできまし、そのような心を鍛えることもできます。

さらには、本当はつらいはずのことでさえ、「ストレスなどない、何も苦しくはない、私は幸せだ」などと、無理矢理自分自身を騙すことさえできてしまいます。

しかしそれも度を超せば体を壊す事にも、精神を病むことにもなります。
どんなに自分自身を騙したつもりでも、身体は、潜在意識は、とても正直なのです。

 

原因の分からない症状の多くが、この「正直な体・心の訴え」である場合も非常に多いです。

上記の「人生の節目」の話と同じで、大きな病気を抱えた時には、そんな自分を振り返る一つの節目、きっかけと言えるのではないでしょうか。

 

 

■注意の要求、保護要求としての病気

人間は集団生活をする生き物ですから、どんなに一人でいることが好きな人でも、他人の気を引こうとする『本能』があります。

それは本能ですから、本人も全く意識していません。
無意識のうちに、気を引こうとする行動を取ってしまうものなんです。

 

病気も度々そのためのツールとして用いられます。

特に、幼い子供は自分一人では何も出来ませんから、親の気が集まっていて、そして守られていないことには生きていくことさえ出来ません。
そのために一生懸命アピールします。

普通は泣いてアピールしますが、それでも足りなければ病気をします。

母と子

た、やたらと怪我を繰り返したり、問題行動を頻繁に起こす子もいますが、それも親の気を引こうとして、無意識のうちにやってしまっているんです。

親にとってみれば、本当に困った話ですよね...。

でも実際のところ、子供の病気は、こういう「親に対する注意の要求」の現れであることがほとんどなんです。どんな治療を受けても治らない症状が、ママと二人きりでお出かけして遊んでいたら治ってしまった・・・なんていうことも実際あるのです。

 

大人にも、注意を集めたい欲求、そして病気によって「守られたい」という欲求があります。
様々な不安、プレッシャーから守られたくて、無意識のうちに『病人』という弱い立場を選択してしまうことも。

だだ、くり返しますが、これは『本能』ですから、意識してやっているわけではないんです。

しかも大人には見栄や体裁があって、子供よりも複雑にその本能が隠ぺいされているので難しいんですが・・・でも本質的には同じです。

 

誰だって病気になんてなりたくないものですし、わざわざ病気になって痛い思いをしてまでも「気をひきたい」「守られたい」と思っているつもりなどないと思うんです。

しかし自分でも気づけない「病気を利用する心」というのは、誰の内にも、ひっそりと、しかし根強く隠れているものなんです。

 

 

■症状即療法

「排泄としての病気」「軌道修正のための病気」「脱皮のための病気」「注意の要求としての病気」、以上四つの項目に分けてご説明しました。

しかし 実際にはこのように綺麗に四つに分けられるものではありませんし、病気になる理由や意味は本来、一人一人違うものです。

ともかく、病気というのは単なる内臓や筋肉などの“故障”として起こるということではなくて、もっとその背後に複雑な意味や目的があるんです。
だから、まるで機械の修理のように、その症状だけを治していくということは、その意味や目的を無視することになるのです。

その結果、病気やトラブルが何度も繰り返すことになる、しかも、前回よりも強い苦しみとして繰り返すことが多くなります。

 

東洋医学の一部には「症状即療法」という考え方があるそうです。
それは「症状自体が療法である」という意味です。

病気の症状は、決して気持ちのいいものではありません。
でも、その病気をしっかり経過させることで、自分の体や心を、さらには人生そのものを良い方向に導いてくれる・・・

大げさに聞こえるかもしれませんが、そんなすごい力が、『病気』には、そして人間の体や心には、潜んでいるのです。