精製された世界

最近、ネットショップでお香を2種類購入したんですが、まぁ悪くはないにしても、思っていたのとはちょっと違うんですよね…。

まぁそれも、仕方のないことです。
実際の香りをネット上で知ることなんて、そもそも無理なわけですから。
そのことをわかっていてネットで購入したわけだし、一か八かの賭けのようなものです。
もちろん購入するに当たっては、販売店や製造元による説明をしっかり読んだし、ユーザーの感想なども色々読んでのことです。

でも当然それは「言葉」でしかありません。
香りを感じることと、言語を組み立てることとでは、脳の働きも使う部分も違います。
香りをそのまま言葉に置き換えるということを、完璧にできる筈がありません。
それは香りに限ったことではありません。
たとえば、色を言葉で完全に言い表すことも難しい。
パソコンのモニターや写真といった視覚を通すものでさえ、本来の色とは違って表現されてしまうことも多いわけです。
全く視覚には関わらない「言葉」というもので、それ表現することなど難しいのは当然です。
それは、色を音で表現したり、香りを色に置き換えて表現したり、味を形で表現したり・・・という、別の感覚に置き換えることと同じ位、本当は難しいのかもしれません。

実際には「共感覚」といって、別の感覚に置き換えるというか、別々の感覚が共通しているという、特別な能力を持っている人もいるようですが、おそらく言語と他の感覚というのは、その「共感覚」ともまた違ったものなんだろうと思うんです。

言語というのは、感覚というよりは「思考」の範疇で使われるものだからです。

だから、言語というのはどうしても「粗い」のです。
解像度の低い画像のような、自然の色合いを6色の絵の具だけで表現したような・・・ものすごく制限のある世界、それが言語の世界だと思うのです。
だから、その言語では、人の「心」などというものはとても表現し切れません。
半分どころか、おそらく1割もないんじゃないでしょうか、言語で表現しきれる範囲って。
体のことだって、これはとても言語で表現できる世界ではありません。
ましてや数字で表現できるものでもない。

最初から言語や数値化できる範囲だけで見ていく、というやり方もあるかも知れません。
そのかわり、それでわからないことは「原因不明」と除外するなり、「理解不能」と異常扱いするという条件付きですが。

ともかく人の体も、心も、その他様々な分野でも言えることですが、言葉に起こされたものなんていうのは、かなり実際よりも精度を落として、レベルを下げて、言葉という『粗い型枠』に無理矢理はめ込んだものでしかないのです。

しかし実際には、そんな粗い型枠には当てはめきれないところにこそ本質があるものです。

いちいちそれを言語化した時点で、その本質はいつも削ぎ落とされてしまうのです。
私達が「知識」として一生懸命拾い集めているものは、実はそのように削ぎ落とされ、ミネラル分も完全に削ぎ落とされた精製塩や精製水のようなものなのかもしれません。

雑味もなく口当たりはいいかも知れないけれど、そんなもので、本質をわかったような気になっていてはいけないと思うんです。

何千冊の本を読もうが、何百件の論文を読もうが、何十回の講演会を聞こうが、本当のところというのは、苦みや雑味をその体で味わってみないとわかってこないものです。