期待はずれ

私は「自分自身にもっと期待をする」ということを人に勧めることがあります。

自分には自分でも気づいていない面がいっぱいあるわけで、自分が気づいていない能力とか才能というものは、自分で気づいているものの何倍もあるはずなんです。

 

他人のことだってそうでしょう、いつも身近にいる家族のことだって、実は何もわかっていなかったりする。

勝手に「この人はこういう人だ」と決めつけてしまっていたりする。

 

180度、どの角度からでも見えるはずの他人に対してでさえそうなんだから、鏡を使わないと全身を見ることすらできない自分のことなんて、もっと見えていないんです。

 

「期待しすぎると、その期待通りにならなかった時にショックを受けるから」という理由で、期待などしないという人もいます。

期待しないどころか、反対に最悪の自体になることを想定しておく、という人もいます。

 

でもそれってどうでしょう?

「あんたは、人の何倍も勉強しないといい点数が取れないほどバカなんだから・・・」
と言われ続けて育った子どもみたいなものです。

 

「人の何倍もバカだ」と言われ続けて育った子が立派になれるはずもないでしょう。

そればかりか、その子は「自分が生まれついてのバカである」ということを言い訳に使うようにもなるでしょう。

親も認める正真正銘のバカだから、他の人よりも出来なくても仕方ない。

うまくいかないのは、元々バカなせいだから・・・努力をしなくたっていい、と。

うまくいかなくたっていい、誰も期待なんかしていない、もちろん自分自身も・・・

 

ただ、「期待する」ということを、誤解している人もいるかもしれないな、と思うんです。

私が言う期待というのは、あくまでも「自分自身に対しての期待」、ということなんです。

 

「頑張ればいいことがある」とか、「待っていれば幸運が訪れる」「神様がちゃんと見ていて、幸せを与えてくれる」というようなことを言っているのではないんです。

「運命」に期待するということではないんです。

「運命」というのは、ある意味「筋書き」みたいなものでしょう。

筋書き通りなら、期待しようがしまいが、努力しようがしまいが、もう決まっているのだから変えられないものです。

 

期待するということは、自分がやったことに対して期待するということです。

自分にはそれを成し遂げるだけの力があると、それにふさわしいことをしてきたのだ、と。

期待して、あとは寝て待つ・・・
期待して、あとは神のみぞ知る・・・

なんていうことではないんです。

やるだけのことをやる、そのやったことに対して期待するということなんです。

 

そもそも、目的のために何かをするということ自体、期待があるからでしょう?

たとえばスポーツをやっている人なら、試合でいい結果を出したいとか。

結果を出したい、出ると嬉しいな、と思うから一生懸命練習するわけです。

だとしたら、その期待は最大限に上げたほうがいい。

そのほうが練習の質も上がるはずなんです。

 

必ず勝つとか優勝するとかいうことだけが最良の結果というわけでもありません。

そのことだけを期待しましょう、というわけでもありません。

「悔いのない試合をする」、「自分の力を最大限出す」というケースだって、それは充分な期待であり、結果です。

それでも試合に負ければ悔しいけれど、それと「期待はずれ」とは全く違うものなのではないでしょうか。

そういう人は、「負けちゃったから、もうや~めた」なんていうことにはならないはずです。

 

「期待はずれ」というのはいつも、他力本願の結果なのです。

うまくいくのならやる、いかないのならやらない・・・

そういう人が、うまくいかなかった時に「なーんだ、期待はずれだ」などと文句を言うのです。

「世の中、うまくいかないもんだな」・・・と。

 

世の中の問題ではないんです。

自分のことなんです。

 

世界で一流といわれているアスリートや事業家の人達は、やはり自分に自信を持っているんだと思います。

口では謙虚なことを言っていても、やはり自信がない筈がありません。

それでもなお、彼らが日々訓練や研鑽を続けるのは、まだまだ自分に「期待」をしているからだと思うんです。

磨けば、もっと光ると。

 

期待するということは、そういうことだと思います。

磨けば光るんだと。

 

決して「いつか誰かが、光を与えてくれるんだ」というようなことではないはずです。

 

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