感謝される仕事

以前、聞きに行った心理療法家の講演の中で、とても印象に残っている話があります。

 

それは、「セラピストは、自分の問題をしっかりと処理できていないといけない」という、やや厳しめの話でした。

そうでないと、自分自身の心の中にある問題をクライアントに投影してしまうからです。

 

たとえば、「離婚カウンセラー」の人には離婚を実際に経験した人が多いそうですが、そのカウンセラー自身が、自分の離婚時の不満を未だに抱えていたりすると、つい自分の不満を晴らすかのごとく感情移入してしまう、というのです。

 

確かに、そういうことってよくありがちだと思います。

 

例えば子育てセミナー活動に熱心な人・・・参加する側の人でも、開催する側の人でもそうなんですが、熱心になる本当の理由は子どものためではなく、自分が親に対する不満を拭いきれないためであったりすることがあるようです。

中には、自分が理想の子育てをしている所を親に見せつけたいとか、親が自分に対して行ってきた教育が間違っていたと証明してやりたいとか、そのような動機が垣間みられる場合があります。

 

とは言っても、本人がそのように自覚していることはほとんどないようですが。

 

ともかく、言い方は悪いかもしれませんが、それはまるで、自分の欲求のために、他人へのセラピーを利用しているようなものです。

大変厳しい考え方だと思った一方で、全くもってその通り、自分も肝に銘じなければ、と思った次第です。

 

 

ところで、セラピストがよく口にする言葉に「感謝される仕事です」というものがあります。

「感謝されることが喜びです」とか。

 

これも厳しい考え方かもしれませんが、私は「感謝されること」を目的とすべきではないと考えています。

そりゃぁ感謝されるかされないかで比べたら、されたほうが嬉しいかもしれません。

 

しかし、セラピストの本当の仕事は、相手にセラピストに対する感謝の心を起こさせることでもなければ、ましてや、セラピストが感謝を受け取って喜ぶことではないと思うんです。

 

極端に言えば、嫌われてでも、クライアントが元気になること、丈夫になっていくことでしょう。

 

仮に「セラピストのおかげで元気になった」と思われなくても、結果的にその人が元気になるような働きかけを行うことでしょう。

 

だから、自分の満足感なんてどうでもいいんです。

自分が「してあげたいこと」をしてあげるのが仕事ではないと思います。

 

そもそもセラピストなら、人の感性がそれぞれ違うのだ、ということを充分に分かっていなければいけないはずです。

自分がしてあげたいことと、相手がして欲しいことが違うことも。

自分がされて嬉しいことを、相手がして欲しいわけでもない。

 

いやそれ以前の問題として、「自分が何をされて嬉しいか」なんてことは全くどうでもいい話でしょう。

自分を見ている場合ではありません。

100%相手に集中すべきでしょう。

 

本当は、「相手が何をされて嬉しいか」も関係ないはずです。

セラピーはサービスや慰安ではありませんから、相手が喜ぶことを提供するというものでもないはずです。

もちろん相手が喜ぶことをきっかけにコミュニケーションを深めるということもできますが、それはあくまでも技術的なことです。

 

相手が喜ぶことで自分が喜ぶとか、ましてや相手が喜んでくれなくて自分が悲しいとか、プロとしてそんなことは全く関係のない話だと思います。

 

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