実現とトラブル

最近、私の10年来の願望が実現しました!

個人的なことなので、その内容は秘密にさせていただきますが・・・。
実現したといっても、半ば強引に実現させたというか、決行したというか、そんな感じです。
実は、数年前にもその実現のチャンスがあったんです。
だけどその時は、二の足を踏んでしまいました。
「今の自分には無理だ、まだ早い」とか、そんなふうに考えて(言い訳して)いたように思います。

もちろんその時は悔しくて仕方なかったのですが、結局その時は自分から実現させることを「辞めた」だけなんです。
ただ今回も、そして数年前のときも、よく考えてみると「実現のための条件」は、ほとんど変わっていないのです。

どんな物事でも、実現させる上では、たとえば時間とか、費用とか、資格とかの現実的な問題をクリアしなければならない場合が多いです。
そういう面では今も数年前も、ほとんど違いがないのです。

なのになぜか、数年前には自ら二の足を踏んで、悔し涙をこらえていたわけです。

 

こういうことに対していろんな考え方があると思うんです。

「当時はまだ準備ができていなかったんだ」とか。

「今じゃなければならない理由が、他にもあったんだ」とか。

確かにどれも正解かもしれませんし、考え方次第とも言えるでしょう。
だけど、こういう「考え方」を言い訳に、今チャレンジすることから逃げている場合も多いんじゃないかと。
私自身がそうであったように。

 

これは夢の実現に限った話ではなく、トラブルを解決するということに対しても言える話です。

問題を解決するためには、大きな決断をしなければならない場合、大きく環境を変えなければならない場合があります。

時には何かを手放したり、今いる場所を離れたりということが必要な場合もあります。
そうしなければ解決しない問題というのもあります。

問題が大きければ大きいほど、そういう必要性が高い傾向があります。

体のトラブル(病気)、精神的な問題でも同じです。

それくらいの決断や行動をしないと、改善しないことは多くあります、実際に。

私の場合は、「悔し涙をこらえる」程度で一応やり過ごしてきたし、こうして数年経って実現させることができたから良かったのかもしれません。

でもある意味、その悔しさは数年間ずっと引きずっていて、そしてこれ以上はこらえきれなくなって、強引にでも実現させた、というわけなんです。

 

もしこれ以上我慢し続けていたら、こんどは「悔し涙」では済まなかったかもしれませんね。

その悔しさは内側に鋭く突き刺さり、自分自身の体や心を壊していったかもしれません。

願望の実現についてはこちら

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