打撲の手当てと怪我の意味

愉気法

打撲をしたときの一般的な処置としては、湿布を貼る、患部を冷やす、といったようなものがあります。

逆にそれ以外に何があるかと言われると、ほとんど思いつかないのではないでしょうか。

もちろん病院に行けば検査をしてもらえるわけですが、明らかなどこかの損傷が見られなければ、特にできる処置もないというのが現状だと思います。
多くの場合は湿布をもらって帰る、という程度でしょう。

整体においても、できることはある程度限られていますが、一番大事なのはシンプルに「愉気(手当て)」です。

打った場所にひたすら手を当てるということ、これが一番大事です。

また、場合によっては打った場所の反対側にも手を当てるということ。
たとえば額に強く何かが当たった場合なら、その額だけではなく、反対の後頭部にも手をあてておくとよいです。

専門的な見方になるとさらにいくつかあるのですが、これらについては割愛します。

打撲やその他の怪我については、別の側面から見て重要なことがあります。

それは、どうしてそのタイミングで怪我をしたか、ということです。

打撲、怪我というのは偶発的に起こることです。
しかし、より深く、潜在意識的な観点から見ていくと、偶発的とはいえないタイミングで起こっているということもあります。

たとえば、精神的にでも、肉体的にでも、疲れがピークに達している時です。
怪我でもしなければ休めない、強制的に休めるために怪我を選択する、というようなものです。

選択といっても意識的に選択しているわけではありませんから、当然本人にしては「よりによってこんな時に怪我をしてしまって!」という悲しい気持ちになるわけですが、潜在意識的にはやはり選択しているわけです。

大事な仕事や予定の直前に怪我をしてしまう、ということもあります。

これも本人の意識としては不運でしかないんですが、しかし潜在意識には、その大事な仕事や予定に対する抵抗があって、怪我を選択してしまっているということになります。

アスリートが大きな大会の直前で怪我をしてしまうというのも、実はそういうものであったりもします。

さらに深いところでは、大事な予定の前で怪我をして一旦パニックを起こしてしまい、でも結果的にその予定はなんとかこなすことができた、というパターン。

これはある意味、怪我をして一旦リセットすることで心の中を整理したり、あるいは覚悟を決め直したりといったことをしていると考えられます。

怪我を自ら選択するなんていうことは通常あり得ませんが、潜在意識というのは我々の通常の意識では考えられないようなころを、複雑で莫大な情報量によって成しています。

潜在意識の中で起こっていることを言語化することは大変難しく、うまく表現しきれませんが、このようなことが実は起こっているということを、まずは頭の隅にでも置いておいていただけるといいかと思います。

実際に打撲した時は、上記の通り落ち着いて愉気をするということが大事ですが、それには一旦パニックを起こした心を鎮める、という意味もあります。

心理的なパニックの時にはお腹が硬くなるという現象が起こるのですが、強い打撲をした人の多くが同じようにお腹を硬くしています。

そこをゆるめていくことで、落ち着いて目の前の現状に対応できるようになり、後々「怪我の功名」といえるような結果に落ち着くことができた、という例もあります。

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