不幸や病気、トラブルを繰り返す原因

今回はまた厳しい話を書きたいと思います。
とても賛同できないという方もいらっしゃるかもしれませんが、そう思われる方はどうぞスルーしてください。
今から書くことは自分自身の今までの経験を中心に、更に20年近く、人の体や心を見て来て感じた事を踏まえてのことです。

人はどうしても、自分の身に病気や人生のつまづきが起こった時に、それを自分の問題として考えるよりは、何か他のもののせい、他の人のせい、と考えたほうが気が楽な場合が多いと思うんです。

たとえば病気について言えば、ウィルスが原因だったり、あるいは公害などで病気になることがあります。

その結果ウィルスや公害を恨んだり、公害を発生させた企業のせいにしたくなるのは当然のことでしょう。
それは当然の権利なのかもしれません。

また、以後それらから身を守るために、そして自分以外に被害者を出さないために、責任を追求していくことは、とても大事なことなんだろうと思います。

だけど、それとは別に・・・冷たい言い方かもしれませんが、その病気を「治したい」という目的のもとには、「怒り」、ましてや「恨み」というものは全く足しになることがありません。
むしろ、その恨みがある限り、治そうという体の自然治癒力が鈍ってしまうものなんです。

なぜならば、誰かを恨んでいる以上、自分は被害者でなければならないからです。

「あなたのせいで、私はこんなに酷い目にあっている」という証明が必要だからです。
病気が治って楽になってしまえば、その証拠は消えてしまいます。

治ったって、診断書を残しておけばそれが証拠になる・・・なんていう問題じゃないんです。
「証明」というのは書面上のものという意味ではありません。
誰かを恨む時には、リアルに今、苦しんでいるんだぞということを、たとえ相手が見ていないときでも、自分の中で常に持っていないといられないのです。

人を恨むということは決して良い事ではないことは、誰だって思っているはずです。それでもその良くないことを続けるためには、恨んでも仕方ないだけの理由が、自分の中にも必要になってきます。
だから苦しみを手放せない。
苦しければ苦しいほど、人を恨む権利を持ち続けられるのです。

そういう潜在意識のパワーというのはもの凄くて、どんなによく効く薬の効果さえももみ消してしまうほどに、身体に影響を与え続けるものなのです。

これは病気に限らず、様々な人生のトラブルにおいても、同じような仕組みが私達の心の中、体の中では働いていると考えていいでしょう。

 

この「誰かのせいにする」という姿勢は、癖になりやすい傾向をもっています。
自分が被害者になることで周りの人に優しくしてもらえるし、守ってもらえるからです。

かといって、周りの人達もいつまでもかまっていられるほど、暇ではありません。
やがて気にしてもらえなくなってきます。

しまいには、「周りのせいにばかりしていないで、自分がしっかりしなさい」なんて口うるさく言い始める人も出てくるでしょう...。

そうすると、また新しい加害者を立てて、「私はこんなにつらい目にあっているのに!」と訴えたくなってきます。
その新しい加害者を見つけるために、だんだん身の回りのことに過敏になってきます。

「悪いもの探し」が非常に上手になってきます。

さらにそれが発展すると、まだ何も起こっていないのに、辛いことが起こった時の為に、常に身の回りの悪い要素を探す癖がついてしまいます。

汚れた空気のせい、水道水の塩素のせい、電磁波のせい、添加物のせい・・・

もちろん添加物や汚れた空気が良くないのは言うまでもありませんが、そういったものにやたらと過敏になりすぎるのです。

人の体と心というのは本当に不思議なもので、そういうことを気にし始めると、今まで大丈夫だったものに対してさえ、アレルギー的な反応を起こしてしまうようになります。

子どもの頃からずっと水道水で育ってきたのに、急に浄水器を通さない水を飲んだら下痢をするようになるとか。
以前は平気でコンビニ弁当も食べていた人が急に自然食以外食べられなくなったとか。
急に変電所の近くを通ったら頭が痛くなるようになった、とか。

それで浄水器や空気清浄機、無添加食品、電磁波除去装置・・・・そういったものを必死に集めるようになるのだけど、それでもよくならない。
いや、なる場合もあるのでしょう、それぞれ効果があるものもあると思うんですが、そういうものをいくつも使っていながら、全然良くならない人って結構いるでしょう?

それは、そういうものばかり使うその姿勢が、実は「私はこんなに苦労して対策をとっているのに、まだ苦しんでいるんですよ。
「だから私のせいではないでしょう?」という、自分自身と周囲に対するアピールでしかないからです。

 

これがもっとひどくなると、邪気とか霊とか過去世のカルマとか、そういうものも持ち出してくるようになります。

「見えないものだから恐い」などという言い方がよく聞かれますが、見えないから好都合なんです。
見えないもののせいにしておけば、周りの人は反論できません。

だけど、自分自身は本当にそのせいで苦しんでいるという「根拠」が必要です。
だから、やがて本当に見えるようになってしまうのです。

邪気とか想念なんていうものも、体の感覚として感じられるようになってきます。

霊とか過去世の自分とかも、はっきり目に見えるようにまでなってくるし、予知力や透視力みたいなおかしなものまで芽生えてきてしまうのです。

人間の潜在意識の力というのは、本当に恐ろしいものです。
もちろんそれらが、本物であるという根拠はどこにもありません。

だけど幻覚であろうが本物であろうが、本人にとって実際に見えて、そして感じられるものだから、「本物」という主張をすることができます。

そうやって、「自分のせいではない」「自分は変わる必要がない」という証拠固めをすることが癖になってしまうと、自分の問題を自分で解決する力を失ってしまいます。

とにかく人に頼る、そしてうまくいかなかったらその人を恨んでまた次の人・・・

訪ね歩いた先は数知れず。
でもそれさえも、「こんなに訪ね歩いたのに解決しないほど、私は苦労しているんですよ」とその苦労に箔を付ける。

だけどそれは、原因を全部自分以外のものとしているから、いつまでも見つからないだけなんです。

 

繰り返しますが、これは主に、私自身の経験を元に言っていることなんです。

邪気とか霊とか、私自身にもそういうものが見えていたこともありました。
(それが本物だったかどうかは、わかりません。)

だけど、そんなものの中に答えはないと気づいてからは、やがて見えないようになっていったし、体に起こっていた反応もなくいなっていきました。
一方で、今まで自分が寄り掛かっていたものを捨てるのは、とても勇気のいることでした。

それらを捨てるということは、本当は自分の力ではまともに立っていられない程に弱かった自分を直視する、ということです。
とてもショッキングなことでした。

だけど、少しずつ自分の足で立つ練習をしなければ、足は丈夫になりません。
とにかく、誰かのせい、何かのせいにすることは、自分自身の体や精神を健康にしていく上では、決して役に立つものではありません。

じゃぁどうやって、私がその「○○のせい」という考え方をやめてきたか(まだまだ全部やめられてはいませんが)というと・・・
「どうやって」なんていう方法など特にないんです。

ただこういうことを頭において、意識していっただけなんです。

「○○のせいで・・・」と口にしたり、考えたりしないように気をつけていった、その繰り返しです。

もちろんそれは失敗と反省の繰り返し、一進一退の繰り返しです。

 

※こういった「被害者意識」のようなものについては、願望実現法講座CDの中でくわしく話しています。

scd02