頭の使いすぎ

体と心全般

整体の際に、よく「頭の使いすぎのようですね」という指摘をさせて頂く場合があります。

 

普段、職場で経理の仕事をしている人とか、計画・企画を練る仕事など、いわゆる「頭脳労働」といわれるような仕事をしている人なら、「仕事のせいで、頭が疲れているんだな」と、納得していただけることでしょう。

しかし「頭の使いすぎ」が見られるのは、そういう人ばかりではありません。
むしろ、頭を使っている自覚のない人のほうが多いです。

 

そういう人は決まって、「全然難しいことなんて考えずに毎日過ごしてますよ」とか、「全然頭が働いていないですよ」とか、冗談めかして言います。

でもお体を見る限り、明らかに頭が緊張して、その影響が体のあちこちに表れていることが非常に多いのです。

 

中には時々、「私は毎日、心穏やかに、物事にあまりこだわらず、自由に、自然に伸び伸びと過ごしています」というように、自信たっぷりに仰る方もいます。

しかし体を見る限りそうは思えないので、よく話を聞いてみると、「毎日出来るだけ季節に合わせた自然素材の食べ物を摂り、決まった時間ウォーキングをし、テレビやパソコンはなるべく見ない、嫌な出来事も前向きに捉え、怒りの感情を持たないようにしている・・・」というように、まるで健康法や自己啓発の教科書通りの生活をしているのです。

 

教科書通りにしていれば、安心感を得られることもあるでしょう。
「私は間違っていない」という確証を得られるようなものです。

しかしその裏側には、「正しくないことをするのが恐い」という恐怖感が常につきまとっています。

そのため、正しいか正しくないか、常に自分で自分を見張っているかのような緊張感が頭の中にあるのです。

その自分の中にいる「見張り番」の顔色をうかがいながら、いつも神経を尖らせて過ごしているようなものです。

これが、「頭の使いすぎ」の正体です。

 

いっぽうで、「自分の中の見張り番」ではなく、実際に周りの人の目ばかりを気にしている人もいます。

周りの人に本当に見張られているわけでもないし、周りの人に何か注意されたわけでもないのに、です。

 

周りの人に対しても、常に正しい自分でいたい…

自分の子供に対して、常に正しい親でありたい…

正しい子育てをしたことを、自分の親にも認めてもらいたい…

様々な心理がありますが、とにかく周囲の目をやたら気にしてしまう理由の多くは、「正しくありたい」「間違ってはいけない」という思いこみが強すぎることだと言えるでしょう。

 

先々の心配をしすぎる人にも、同じようなことが言えます。

まだどうなるか分からない未来のことに対しても、つい頭のなかでシミュレーションを繰り返してしまいます。

最悪のパターンも出来る限り想定して、完璧なシミュレーションが出来上がるまで繰り返してしまいます。

そしてそのシミュレーションとは違う現実が起こると、不安でたまらない。

だからつい、計画通りに動いてくれない周りの人や、理想通りに育ってくれない子供に対してイライラして怒りをぶつけてしまったりします。

そのことを「ストレス」と呼んだりするのですが、そのストレスは自分自身の「正しさへのこだわり」に原因がある場合も多いのです。

 

昨今、様々な「リラクゼーション法」があります。

瞑想をしてみたり、リラクゼーションサロンなどで心を落ち着けてみたりすることもいいでしょう。

しかし、根本的に頭の緊張を取るには、もっと自分自身の日常生活のなかに目を向けて、そして自分自身の心自体に目を向けて、「正しさへのこだわり」や、「失敗への恐怖」を手放していくことも大事だと思うのです。

 

世の中には正しくないこともたくさんあります。

失敗、矛盾、過ち、理不尽・・・そういう「汚れ」の中で、上手にバランスを取っていく術を学ぶこともまた、現代社会で伸び伸びと生きていく上で、必要なことなのではないでしょうか。

 

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