私は整体を始める前から、心理系の分野に強い興味を持っていました。
それと同時に「気」という概念についても強い興味があり、気功や合気道の道場に通ってみたり、かなり怪しいスピリチュアリスト、ヒーラーを訪ね歩いたりしていたこともあります。
のちのち整体の道を選んだ理由も、単に物理的身体を観るというものではなく、潜在意識や気という部分も含めた総合的な整体法に出会ったからです。
一部の宗教団体では手をかざして病気を直すとか、悪霊を除去する?とかいうこともされているそうですが、私の場合はそれよりも、気が身体や心理、環境にどのように影響をもたらすのか、という関心が強かったように思います。
整体法では、その根幹に「愉気」という概念があります。
概念と言っていいのかどうかはわかりませんが・・・ここで語ると長くなるので、興味がある方は検索してみてください。
たくさん情報が出てくることでしょう。
何人かの先生に「気」にまつわることを学びましたが、私個人はこの整体法(野口晴哉氏)の気の解釈が最もしっくりきました。
手当ての「効果」
さてここでは、現実的なことだけを書いていきましょう。
まず、よくある「手当て」について。
手を人の体に当てることで、病気が治るのかどうか。
これは、法律等の大人の事情で明確に言えない点がいろいろあります。
ただ言えるのは、確かに、手を当てることで体には物理的な変化もおきます。
というか、その事例はいくつも経験している、ということだけ書いておきましょう。
「気」で人を動かしたり倒したり?
あと、一部の武道などでみられるように、「気」で人を倒すことはできるのか?という点。
これは経験がないのでわかりません。
少しばかり合気道の経験もあるのですが、それは「気で倒す」というものではありませんでした。
ただいろいろと流派などもあることですし、よくわかりません。
でも一つ言えるのは、手を離していても、手をかざしていることを感じることはできます。
離していても触られている感覚を感じられるのです。
たとえば自分の手を向かい合わせていると、その間に風船のような弾力性を感じることができる、というのはよく気功などで行われている訓練としてもありますよね。
これは自分の手ではなく、他者の手でも感じることができます。
あとは、整体法の訓練の中で「活元運動」というものがありまして、これは簡単に言うと「無意識に起こる運動を引き出す」というようなものなのですが、これを行なっている時に、体に触れずに手をかざしていると、その手の動きにつられて動き出す(動いている本人は目を閉じている)という興味深い反応、感応現象が起きます。
よく「手から、たとえば遠赤外線みたいな何かが出ているのか?」いうことが言われますが、それもよくわかりません。
上記のように「感じる」ということは、何かが出ているということなのかもしれません。
あと、飲み物などに手をかざしていると、味が変わるという現象も起きます。
容器を手で持ってしまうと温度が変わってしまうため、離したまま手をかざすだけで、少し変わるのです。
水がジュースになったりする程は変わりませんが、確かに微妙に変化します。
気を送る、伝える、伝わる?
「気」というものが存在するならば、それで何か意思のようなものを伝えることができるのでしょうか?
これについては、明確な意思や意図を伝えることはできない、と考えています。
ただ、意思や意図以前の何かが伝わる、ということはあります。
簡単な例でいうと、「気配」というのは確かにあります。
誰でも感じたことはあるでしょう?
これは実験してみればわかります。
たとえば顔をこちらに向けていなくても、なんとなくこちらを意識している、というようなことは感じるものです。
なので、「気持ち」とか「意思」というものではない、存在そのものといいますか、意識以前の何かを感じることはあります。
この意識以前の何か、というのは、極めて動物的な感覚に近い、いや、感覚と表現するのも少し違うような、精神の根っこにあるようなものかもしれませんね。
人間は大人になるにつれて頭でっかちになっていくものですが、子供、赤ちゃんはこの「気」的なものにとても敏感です。
(そのため、赤ちゃんや子供への「手当て」は驚くべき変化を引き起こす場合が多いのです。)
いずれにせよ、目に見えない、そして定義しづらい「気」というものを言葉で説明し尽くすことは困難です。
様々な角度から見るたびに、様々な形に見えてくる・・・そんな経験を通して、なんとなくそのイメージを感じていただくしかないかな、と思っています。
ただとにかく、難しいことを抜きにして、たとえばご家族に、特にお子さんには、手を当ててあげること、手で触れてあげる機会を多く持っていただければ、と思います。
ブログでも「愉気法」については記事をカテゴリとしてまとめてあるのでご参照ください。