「来年もいい一年でありますように」「夢が叶いますように」…
こうして祈る姿は謙虚で美しいもの、と言われています。
しかしあまりにもその祈りに依存してしまうと、こんどは『自分ではない他の誰か、何か』に寄りかかるという『責任放棄』になってしまう危険性もあります。
もちろん世の中には、自分の力だけではどうにもならないことも多くあります。
特に伝染病や天災などについては、個人の努力でどうにか解決できるようなものではありません。
他人のことに対しては、祈ることしかできない場合も多いでしょう。
しかし、自分自身の現実的な目標、願望に関しては、それがどうにもならないかどうかは、自分の力を出し切った後でしかわからないものです。
ですから、自分の願望の実現を「祈る」ということの裏には、「自分ではどうにもできない」という暗示が含まれているということになります。
「自分ではどうにもできない」という心理をさらに深掘りしてみると、「誰か(何か)」がどうにかしてくれるのを期待する、という心理がそこに含まれてきます。
裏を返すと、うまくいかなかったら、それは自分のせいではない、つまり周りのせいだ、と思っているということです。
周りが変わってくれないことには自分は良くならない、と。
しかし、周りが簡単に変わってくれるようなら苦労はしません。
他人を変えるのはとても難しいというのは、誰でも何度となく経験して分かっていることでしょう。
だとしたら・・・他人があなたを変えることも、それと同じくらい難しいことなのです。
誰もわざわざあなたの境遇に気付いて、そして人生を変えてくれようとなどしてくれません。
この「自分ではどうにもできない」という思いが強いと、何もやる気が起こらなくなってきます。
そのかわり、ただただ祈ることだけは一生懸命。
スピリチュアル系にやたら依存するような人にみられる傾向です。
それがさらに悪化すると、周りを攻撃するようになる人もいます。
こういった面は、実は誰の心の中にもあります。たとえ自覚がなくても。
人間だから多少は仕方ありませんが、やはりそうした面が出しゃばらないように注意する必要はあると思うのです。
つい人の悪口や批判を口にしてしまう時も、少なからずそうした心理が働いています。
相手の悪いところが明らかになればなるほど、自分のせいではなくなっていくからです。
そして周囲の人もその批判に同調してくれれば、ますます自分を正当化することができます。
だから人の悪口や批判を言うのは、どこか気持ちよくて、ストレス解消になるのです。
共通の仲間も出来やすくなります。自分が守られるからです。
しかし快感を感じ、守られているのは、自分の悪しき部分であることを自覚しなければなりません。
守られれば守られるほど、自分の人生をコントロールする力を失い、幸せは遠ざかっていきます。
「周りが反対するから、やりたいことができない」…なんていうのも、やはり障害物にばかり目がいく癖が付いているのです。
たとえ障害物があっても、今できることはゼロではないはずです。
それを探す癖をつけるべきであって、できない理由を探している場合ではありません。
自分の人生を幸せに生きるのは、自分自身の責任であり、自分自身の、誰にも備わっている本来の能力であるはずです。
きっとそれが、社会にも還元されていくはずです。
もうすぐ新しい年が訪れようとしています。
自分の手で、素晴らしい年にしていきましょう。