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過去のコラム集
私の9.11の思い出
もうすぐ9月11日。
9.11と言えば、ニューヨークでテロが起こった日ですが、私にとってはもう一つ、切ない出来事があった日。
それは、わが家で暮らしていたウサギが亡くなった日。
家内が、ハムスターを飼いたいと言いだして行ったペットショップで色んな動物たちを見ているうちに、鼻先と尻尾がグレーがかった一羽の子ウサギが目に留まりました。
妙に気に入り、そのまま連れて帰ったウサギです。
狭い家の中で暮らしているせいで、色々と欲求不満もあったようです。
明らかに体調を崩すことも何度かあり、よく「愉氣」をしていました。
体調が悪い時は、ウサギの方から私の手の元へ頭や背中をすり寄せてきました。
そして気が済んだらさっさと離れて寝転がるなり、走り回るなり。
元気な時に手を当てると、嫌がるように頭を振り回します。
家の中で飼われているとはいえ、勝手気ままに生きているなぁ、と。
大概手を当てていると元気になり、何となく手応えみたいなものも感じられていました。
それが、亡くなる一ヶ月ほど前から様子が変わりました。
様子が変なので愉氣を続けていたのですが、何となく感応が無い、そして嫌がりもしなければ、頭や背中をすり寄せてくることもだんだん無くなっていたのです。
もしかして、今年あたりは危ないかも、という思いが何度か頭をよぎったものの、それをうち消したい思いの方が強く、受け入れることができませんでした。
念のため動物病院にも連れていきましたが、原因は全く不明です。
日を追う毎に、部屋の中の気に入った場所でボーッと座り込んでいる事が多くなってきました。
そして最後の日、朝からその日は様子がおかしく感じられました。
いつものようにボーッと丸くなって座っているのですが、何となく様子が違う・・・。
そして、何となく不安そうに見えました。
その頃は私も家内も忙しく、二人揃って居ることが珍しいという日々だったのですが、その日だけはたまたま二人とも休みが取れた日。
様子がおかしいと気づいたのは私の方だけで、「何かおかしくないか・・・」と何度か妻に訴えてみたのですが、根拠もなく、様子を見ることにしました。
手を当ててみるものの、やはり感応がありません。
そして夕方頃、ウサギの不安そうな様子は益々ひどくなり、警戒している時のように耳を立てています。
そして時々目を見開いてキョロキョロ。
呼吸のリズムも、いつもと違っています。
私の中では、その時ある程度は覚悟を決めました。
全く感応も無いので、愉氣もやめました。
何となく、手出しをせずにに見守ってやったほうがよさそうに思えたのです。
やがて呼吸は短くなり、体を横たえ、私たち夫婦に見られながら大きく最後の一息を吸い込みました。
私たちがもっと勘が良ければ、声のないウサギの声をもっと感じてあげられれば、もう少し楽しい一生を過ごさせてあげることができたのかも知れません。
ただ、私たちが二人そろって看取ってあげられる限りある時間のなかで、最後の一息を見届けてあげることができたのは、生きている間に築かれたウサギと私たちとの最後のコミュニケーションだったのかな、と思っています。
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