
6. 手当てと“気” 〜愉気法〜
「自働運動」と同様に、無意識に取ってしまう行動が原型となっているのが「手当て」です。
文字通り手を体の一部に当てることです。
(新興宗教などで行われている行為と勘違いされそうでちょっと心配なのですが・・・)
腰が痛ければ無意識のうちに腰に手が行きます。
「腰が痛いのはきっと足の筋肉が衰えたからで、ということは足のどこかに手を当てたほうがよさそうだ・・・」
などといちいち考える人は居ないと思います。
ただ、腰に手を当てれば良くなるだろう、と考える人もあまり居ないと思うのですが、それでもつい手が行きます。
この「つい、手が行く」という本能が重要で、本能的に取ってしまう行動に無駄なものは無い、と思うのです。

理屈はともあれ、痛い所や普段から気になる所に、手を当てて意識を集注してみてください。
考え事をしながらとか、テレビを見ながらとかでは今一つ成果が上がりません。
心を静かにして、触った感じ、手が触れた感じを丁寧に味わうようにします。
数分すると、その場所が暖かく、慣れると熱いくらいに感じられるかもしれません。
特に今痛んでいる所というのは少し熱を帯びているものです。
体を修復しようとして熱を帯びているのですから、手を当てるということはそれを手伝うことになります。
しかしやはり、これは熱の力だけでは無いようで、人の手というのは何かしら独特の力を持っていることは間違いありません。
手作りの食べ物は美味しいし、手作りの衣服も心地よい・・・同じ調味料と食材を使っても、「おふくろの味」はやはりお袋さんの手でしかできないのと同じではないでしょうか?
整体法(俗に言う野口整体)でも、この“手を当てる”ということがベースになっています。愉気法(ゆきほう)と呼ばれています。
様々な急所を押さえたり、刺激したりするのもやはり「手」なんです。
棒や機械で刺激されたのとはどうも違います。
その違いの理由に、触る側の手の問題があります。
手を敏感にして、どのような場所に、どのようなタッチで、どの程度当てるか・・・これは機械で測っても分からないものです。
そこには人間の勘というものがあります。
難しいことを書いているようですが、勘に自信がなくても、自分の体の痛い所、疲れている所くらいは解るでしょう。
そこに手を当てればいいんです。
そして意識を集注させるだけ。
「早く治れ」とか、「気を注入するぞ」などという考えも雑念の一種です。
または、お子さんやお友達がどこか痛がっていたら、そこに手を当ててあげると治りが早くなります。
怪我(打撲)をした時などはいち早く手を当てることが最も大切です。
病院の検査で異常が見られなかったような打撲でも、後々その影響が表れているという例は非常に多くあります。
そういう自体を防ぐために最も重要なのは、やはり手当て(愉気)なんです。
慢性的な症状がある人でも、ただ単に疲れているだけの人でも、ぜひお互い手を当て合ってみてください。
人に手を当てられるのは想像以上に暖かく、気持ちいいものです。
ついそのまま眠ってしまう人も多いですよ。
どこが悪いか解らなくても、背骨の上を触っていると何となく気になる場所が解ったりすることもあります。
解らなくても、触られた感触が場所によって違って感じられることもあります。
一番気持ちよかった所に手をあててもらいましょう。

このように背骨の上を掌でなぞって探ってみることは、良い訓練にもなりますし、それ自体で効果が得られます。
“何となく気になる ”ということは、日常生活の様々な場面で経験しているはずです。
言葉では平気なようにいっているけど、何となく不安そうに見える・・・とか、
冷静な態度を取っているけど、怒りのオーラを振りまいているような気がする・・・とか。
正しいことを言っているけど、何となく気が合わない人がいたり、初めて合った日から気が合ってしまう人がいたり・・・。
“気”というのは特殊な人による特別な物というわけではなく、私達が普段から接しているものなのではないでしょうか?
理屈がわからなくても、難しい訓練を積んだ人じゃなくても、どうぞご自分で、或いはお近くの人どうして手を当て合って、“気”の交流・感応を楽しみ、役立ててください。
そして愉気法をしっかり実践してみたいという方は、「総合コース」や「整体法活用セミナー」などの講座に是非一度足をお運び下さい。(DVD,ビデオでもご覧頂けます。)
個人指導(整体)ではたっぷりと愉気を受けて頂くことになるでしょう。
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