9.子供の頃からの影響
振り返ってみると、私が自分の意志で進む道を決めるようになったのは、この登校拒否〜退学という出来事以来です。
ただ、それまでも、決して親のいいなりになっていたわけではないんです。 「将来はこういう道に進みなさい」といった、具体的な事を言われ続けたような記憶もありません。 それに、特別に厳しかった親だった、というわけでもないと思うのです。
ただ・・・ 言われなくても、そう思わされるようなものがあったのかもしれません。 私には、幼い頃から、親の望むことをしよう、親に気に入られることをしよう、親が喜ぶことをしよう、そんな無意識の思いがあったようなのです。
私は三人兄弟(全員男)の末っ子で、常に家の中では一番弱い存在でした。 二人の兄には何をやっても適わない、そして何をするにしても私は一番後回し、そんな環境でした。 もちろん、そういう環境の子が、みんな問題を起こす、というわけではありません。他にも、何らかの要因があったのでしょう。
ただとにかく、私は良い子になることで、必死で親の意識をこちらに向けようとしていたのです。 つまりそれは、本当の自分の姿ではありません。 常に演じていたわけです。
私の家は、あまり裕福ではありませんでした。 実は、高校を進学校でなく、公立の商業高校にしたのも私自身の本来の意思ではなかったのです。 長男は大学生でしたが、三番目の私まで大学に行くような余裕はないだろう、と勝手に決めていたのです。
そもそも、本来自分の意思そのものが無かったんですが・・・実は。 というよりも、わからなかったのです。 「自分がどこの学校に行きたいか」「将来どういう道に進みたいか」なんていうことが。 自分の進路を選ぶという考え自体が、全くなかったかのような感じなのです。 自分はその商業高校を受験することが決まっていたかのような・・・
ともかく、それまでは自分の意志というものは、あるようでなかったのです。 自分で決めた事でも、実は全て親の顔色を見て決めていたようなものでしたから。 「どれが正解かな?」「何を選べば、親は了解してくれるのかな?」・・・ それが、選択の基準だったように思うのです。
当然それは、本来の自分ではありません。 それまでは気付かなかったそのギャップが、15歳になって表面化してきた。 私が登校拒否を起こした理由を一言でいえば、そういうことでしょう。
では何故、自分の本当の意志、本当の自分を見失ってしまっていたのでしょう?
当然その理由は、本当に様々だと思います。
ただ私の場合は、前にも書きましたが、親の気を引くためにいい子を演じていた、ということ。 自分が本当に望んでいることよりも、親が望んでいるであろうことを最優先していた。 だから、自分の意志、自分の欲求が、いつの間にか見えなくなっていたわけです。
では、なぜそんなに必死に親の気を引かなければいけなかったのか? ・・・というと、具体的にはよくわかりません。 ただ、幼い頃に、親の愛情というか、親の心の向け方というか、そういうものに満足していなかった、飢えていた・・・ということなんだろうと思います。 月並みな表現ですが、そういうことです。
これは後々、私が心身健康指導の仕事をするようになり、いろんな人(大人も、子供も)を見ていく経験を経て、現在は確信に至っていることです。
では、なぜ愛情や心に飢えるようになってしまうのでしょうか??
これも、いろんな理由があるでしょう。 両親が忙しい毎日を送っていれば、自然にそうなってしまうでしょう。
両親が子育てに集中できないような環境にあっても、そうなるでしょう。 例えば夫婦仲が悪いとか、姑との中が悪いとか・・・そういうことがあると、お母さんの気がいつも散っている状態になってしまっているのです。 すると、一生懸命子育てをしているつもりでも、肝心の「心」のほうが定まらない、子供はそれを敏感に察するものです。
また、子育てに熱心な親でも、それが親の言うことを全部聞かせよう、親の信じる育児や教育に従わせよう、とするやり方なら、それは子供にとっては「自分そのものを見てくれていない」のと一緒です。
・・・まぁとにかく、いろんなケースがあるでしょう。 でも、どんなケースにしても、決してそれは親が一方的に悪いわけでもないのです。 どちらも、ちょっとした何かを見失ってしまっているだけ、なのです。
その何かが・・・私の場合、登校拒否という問題をきっかけに、見えてきたのではないかと思います。
逆に言うと、登校拒否にしろ、その他のことにしろ、家族の身の上に起こる問題と言うのは、その見失った『何か』を修復するためにこそ、起こるのかもしれません。
我が家の場合は、夫婦仲が悪かったわけでも、特に劣悪な環境であったわけでもないと思うのですが、それでもやはり、我慢していた感情というか、得体の知れない寂しさというか、そのようなものが心の奥に潜んでいたことを、後々感じたこともありました。
一つだけ、実際の例を書いてみましょう。
それは、私の結婚が決まった時の事です。 私と妻は、結婚式はやりたくないという共通の考えを持っていました。 田舎の家ですので、本当なら仰々しく結納・結婚式・披露宴を行い、ご近所や遠い親戚にまで挨拶回りをして・・・という風習が根強く残っているのです。
なのに、私は親に自分達の考えを伝える前から「うちの親ならあっさりOKだろう」と直感的に思っていたのです。
そしてそれは的中しました。 というよりも、親の方から「結婚式とか、しなくてもいいんじゃないか?」と切り出してきたのです。 私達にしては説得する手間が省けて都合良かったんですが・・・
長男、次男と二回の結婚式を経験した親にとって、さすがに三人目は疲れるでしょう。 大変ですからね、結婚式とその前後って。
ただ、あまりにもあっさりと言われたので、何となく肩透かしをくらったような、妙な感覚でした。
そしてその時、幼い頃に感じていたような、訳の分からない寂しさに似た感情が、ふと沸き起こってきたのです。 こういうことだったのか・・・・あの寂しさは・・・ その時思いました。
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