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振り返ってみると、私が自分の意志で進む道を決めるようになったのは、この登校拒否〜退学という出来事以来でしょう。
それまでも、決して親のいいなりになっていた訳ではないんです。 「将来はこういう道に進みなさい」といった具体的な事を言われ続けたような記憶はありません。
ただ、言われなくても、そう思わされるようなものがあったのかもしれません。 私は、いつの間にか親の望むことをしよう、親が喜ぶことをしよう、そんな無意識の思いがあったようです。
私は三人兄弟(全員男)の末っ子で、常に家の中では一番弱い存在でした。 二人の兄には何をやっても叶わない、そして何をするにしても私は一番後回し、そんな環境のせいもあったのでしょう。 私は良い子になることで、必死で親の意識をこちらに向けようとしていたのです。
家があまり裕福ではなかったという事も関係しているでしょう。 実は、高校を進学校でなく、公立の商業高校にしたのも私自身の本来の意思ではなかったのです。 当時長男が大学に入ったばかりでしたが、三番目の私まで大学に行くような余裕はないだろう、と勝手に決めていたのです。 (こういう環境の家庭はたくさんあります。決してこの環境だけのせいだと思っている訳ではありません...念のため。)
まあ、本来の意思自体が無かったんですが、実は。 明確な目標もありませんでしたし。
ともかく、それまでは自分の意志というものは、あるようでなかったのです。 自分で決めた事でも、実は全て親の顔色を見て決めていたようなものでしたから。 当然、それは本来の自分ではありません。 その歪みが、15歳になって限界に達したのでしょう。
「三つ子の魂百まで」というように、幼い頃の体験は、成長してからも影響を与えるといいます。
自分が親になったわけでもないのに、何故か他人事と思えなかったのです。 そんなことを学ぶたびに、自分の幼い頃の色々な体験が思い出されたり、大人になってからの親との会話の中で感じた感情が、幼い頃の感情と結びついていたり・・・というような事が何度もありました。
それは、私の結婚が決まった時の事です。 私と妻は、結婚式はやりたくないという共通の考えを持っていました。 田舎の家ですので、本当なら仰々しく結納・結婚式・披露宴を行い、ご近所や遠い親戚にまで挨拶回りをして・・・という風習が根強く残っているのです。 なのに、私は親に自分の考えを伝える前から「うちの親ならあっさりOKだろう」と直感的に思っていたのです。 そしてそれは的中しました。 というよりも、親の方から「結婚式とか、しなくてもいいんじゃないか?」と切り出してきたのです。 私達にしては説得する手間が省けて都合良かったんですが・・・ 長男、次男と二回の結婚式を経験した親としても、さすがに三人目は疲れるでしょう。
ただ、あまりにもあっさりと言われたのが少しだけショックでした。
そしてその時、幼い頃に感じていた訳の分からない寂しさに似た感情がふと沸き起こってきたのです。 こういうことだったのか・・・・あの寂しさは・・・ その時思いました。
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