さてここで、ちょっと話を変えましょう。

 

当時、私が学校へ行かず、何をしていたか...。

 

これと言って何をしていたという訳ではなく、家に一人で居る時間が一番多かったですね。

好きだった音楽を聞いている、趣味のギターを練習している、そんな日々でした。

平日の日中に学生が外をウロウロしていると目立ちますから、あまり外へは出ませんでしたが、自転車で人気のない場所へ行って一日を過ごすこともありました。
(時には街に出て、補導員らしき人に声をかけられた時もありましたが。)

 

ただ、親がいる時間、親が帰ってくる時間が恐かったことを覚えています。

母親は近くの会社で働いていましたが、昼休みに一度帰宅します。

その時間に顔を合わせるのが辛く、お昼前には外へ逃げ出すことが多かった。

夜には父親も帰宅します。兄も学校から帰ってくるし、家族がそろう夜はとても憂鬱でした。

 

日中一人でいる時間には、「この一人の時間がいつまでも続けばいい」と心の底から思っていたものです。

そして、時計の針が進むのが本当に恐かった。

眠りに就く時でも、

「目が覚めたら朝が来てしまう。朝になるとまた学校へ行かされる」

そんな恐怖感で一杯の毎日でした。

 

不登校生活の後半では、突然担任の教師が突然迎えに現れることも何度かありましたから、恐怖感は募っていくばかりでした。

 

時々無理矢理連れて行かれた学校でも、当然息苦しく時を過ごしていました。

クラスメイトは心配して、色々と声をかけてくれたり、時には何事もなかったように自然に接してくれていたり。

クラスメイトに対する気持ちは明らかに親や教師とは違って、嬉しい存在でした。

私もその場では以前と同じように接していましたが、やはり、その場に長くいる事は辛かったものです。

ほとんど1,2時間の授業を終えた頃に嫌になって抜け出しました。

 

 

そのまま学校を飛び出して姿をくらました事も何度かありましたが、その後は必ず親・担任からこっぴどく叱られ、辛い思いをするのです。

もう、逃げ場がありませんでした。

 

 

やがて私は学校内の「相談室」というところに連れていかれるようになり、そこで相談役の教師と共に時間を過ごすことが多くなりました。

その教師とは、比較的安心して過ごすことができたことはとても印象深く覚えています。

(とは言っても、あくまでも“比較的”です。そこが私の居場所ではないことには変わりありません。相談役の先生には申し訳ないですが...。)

 

授業に出ずにただ座っている私に、その教師はこう言いました。

「次の授業は出ないのか?どうするのかだけ答えて欲しい。」

 

私がボソリと「出たくないです」と答えると、その教師はニッコリ笑い、

「そうか、君がそう決めたのならそれでいい。
 君の意見を持って欲しかったんだ。」

と答えてくれました。

 

そして、色んな話をしてくれましたし、聞いてくれました。

直接学校の事と関係ない雑談となると、私も案外スムーズに話せたのです。

 

 

その教師の視点は、他の大人とはちょっと違うんだな、ということを感じたものです。

 

当時の私にしてみれば、親や担任だけでなく、大人という存在に対して全て疑いを持つようになってしまっていました。

今思えば、これは悲しいことですね。

事実を冷静に見ると、両親と担任の教師というたった3名の大人との関係が一時的におかしくなっただけです。

なのに、全ての大人に対して疑問を持つようになってしまったのです。

 

15歳の少年にとっては親・教師というのは最も身近な大人だから仕方ない事ですが。

 

 

 

 

その教師の話で印象深かったことを一つ書きましょう。

 

当時は「校内暴力」や「暴走族」という言葉が盛んに聞かれ始めた頃で、そういった出来事についても話してくれました。

その高校は決して荒れた学校でもなく、そのような問題はあまり起こっていなかったのですが。

 

彼は、暴力をふるう生徒や暴走族のことも決して批判しませんでした。

「彼らは自分でそのやり方を選んだんだろう、その点は認めてあげたいな・・・

 今の君に足りないのはそれだと思うんだ。」 というように。

 

教師がそんな呑気なこと言っていていいのか?と思いましたけどね。

 

ただ、自分で決める、自分で選ぶということ、この言葉はちょっと響きました。その頃の私にとっては。

自分の決断、自分の意志を誰にも伝えられなくなってしまっていたのですから。

親や教師に言っても、全く受け入れられないことの連続でしたから。

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