こんなふうに、問題の急所の認識が完全にずれていました。

だから、ほとんどの話し合いが、親や教師の全ての行動が不毛に思えていたのです。

そのたびに、「またか」という失望感が積み重なりました。

 

やがて、親とは話すのも空しくなり、教師はただ鬱陶しいだけの存在でした。
(ひどい言い方ですね、これ...)

そして、ほとんど家では口をきかなくなりました。

笑うこともなくなりました。

 

 

そんな頃でも、親に対しては心配をかけて申し訳ないという気持ちがあったんですよ。

それまで、親が泣いている姿を見るのは滅多にない事でしたし、厳しかった父親が涙を流しながら泣き崩れる姿を見た時には本当に辛かった。

でも、私自身の苦しさに加え、分かってもらえない切なさ、そして申し訳ない事をしているという自責の念、色々な苦しみが重なってしまい、もうどうしようもない状態でした。

 

 

 

そして、親や教師に言われたこと、されたことに傷ついた事も何度もあります。

最も辛かったことは、「病院(精神科)に行ってみるか?」と言われたこと。

病人扱いをされたこと…これは、親に見放された気分でした。

私は親にとって、理解不可能な人間、取扱不可能な人間としてみられてしまったような気分でした。

私が「そんなんじゃない」と一言返しただけでその話は終わりましたが、仮にその時病院に連れて行かれていたら、もっとひどいことになっていたでしょうね。

そして間違いなく、何らかの病名はつけられていたでしょうし、投薬などの治療も行われていたことでしょう。
完全に「病人」扱いだったはずです。

 

しかし、私が求めていたことはそんなことではありませんでしたし(これは、後になって思ったことですが)、私は当時苦しみの最中にありながらも、自分は自分だったのです。

何とか抜けだそうという気持ちがあったのです。

異常な苦しみが自分に起きているだけで、自分そのものが異常だというつもりは全くなかったのです。
(恐らく、現在登校拒否をしている少年少女達も、同じ様な状態ではないかと私は思うんです。)

 

そして、私は潜在的に、親に救いを求めていたのでしょう。

親にこの苦しみをわかってもらいたかったのでしょう。


だから、その解決策を病院に求められたことがとても悲しかったのです。

 


ただ、「病院に・・・」と口にした親の表情には「こんな事言いたくない」というような気持ちが表れていることは強く感じていました。

それがせめてもの救いでした。

もしかすると、教師や第三者に、病院でみてもらうことを勧められたのかもしれません。

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