心と体の関係、
ストレスと病気
体と心は一つであるならば、私達の体は心そのものであり、心の現れである、ということになります。
ということは、腰痛であれ、胃の痛みであれ、慢性病であれ、それらにも心の動きが伴っている、ということになります。
「仕事のストレスで体調を崩した」というようなことはよく言われますが、実際には、もっと複雑な形で、体と心はつながっています。
そして「健康と病の持つ意味」のページでも書いたように、病気にも様々な意味、心とのつながりがあるのです。
ここでは改めて、違った角度からお話していきましょう。
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度を超した食べ過ぎが続けば、誰でも普通は体を壊します。
これは、消化器への負担によって胃腸を痛めたり、あるいは脂分、糖分などの摂りすぎによって血液を汚したりという、“100%肉体的な要因”による病気で、全く心理的なものは関係ない…かのように思えます。
しかし、そもそも“食べ過ぎる”ということ自体が、何らかの心理的不調和によることが多いのです。
自然に暮らしている野生動物たちには、食べ過ぎるということがないそうです。
私達人間は、食べることと感情が、知らず知らずのうちに結び付いていることが多いのです。
よく「ストレスで食べ過ぎる」「やけ食いをする」という人がいますが、お腹一杯食べたからといって、何かの問題が解決する訳でもありません。
お腹がふくれることによって、一時的に心身がゆるむ、それだけです。
・・・実は、さらに掘り下げていくと、より根深い問題に行き着くのです。満たされない“心の飢餓感”と、“お腹の飢餓感”や“口寂しさ”が、潜在意識で結びついてしまっていることが非常に多いのです。
豊かな現代日本で、飢餓感を感じることなど無いのでは?と思えるかもしれません。
しかし乳幼児期に遡ると、かなり多くの方が経験していることなのです。その頃の飢餓感は、まさにお腹と心の両方に、つらく響いていたはずです。
(多くは授乳・補食/離乳食などの問題に起因します。一部こちらで紹介しています。)
こうした背景がある以上、食べ過ぎをやめることは簡単ではありません。実際、苦労している人も多いでしょう。
しかし、ただ“我慢や根性”だけで減食するのと、こうした“自分の中の背景”に理解を持ってあげられるのとでは、ずいぶんと気持ちが違うものです。
・・・話を「病気と心の関係」に戻しましょう。
誰も皆、病気になんてなりたくないし、もし病気になってしまったら、一日も早く治したいと思うはずです。
しかし、人間の心というのは複雑な多重構造になっているものです。
病気になりたくない、良くなりたいと思う心の裏側で、
「いっそ病気にでもなってしまいたい」「病気のままでいたい」
などと思っている“心のゾーン”があるのです。
信じがたい話かもしれませんし、現在病気で苦しんでいる人にとっては、聞き捨てならない話かもしれません。
しかしこの心のゾーンは、通常自分で意識している心の裏側に隠れていますし、
裏のさらに裏、しかも巧みな“偽装工作”をして、なかなか見えないように隠されているのです。
だから自分では気付くことが出来にくいし、気付きたくもない。
というよりも、認めたくないものです。
当然です、そのような仕掛けになっているのです。
ましてや他人に触れられると、不快感を感じるようにできている“急所”“禁点”なのです。
そんなふうに奥に隠れているくせに、その心のゾーンからは、時々強力なマイナスの力が発せられますから、よくよく注意が必要です。
(こちらで、別の角度から解説しています。)
さて、心の裏側とはいえ、なぜわざわざ「いっそ病気にでもなってしまいたい」「病気のままでいたい」なんていう思いが浮かんでしまうのでしょう?
それには様々な理由があります。
当然その時々によって違うし、人によってその傾向も違います。
このことは、解説し始めたら一冊の本でも語り尽くせないほどの問題ですが、いくつかの例だけを紹介しておきましょう。
その前に・・・
繰り返しますが、これは心の裏側に潜んでいる“自覚できない思い”です。
ですから“自分のこと”とは思えないかもしれないし、思いたくもないかもしれません。
ともかく、まずは客観的な視点で読み進めてください。
その上で、自分自身の中にそういう思いが潜んでいないか、今後、客観的に自分を観察してみることを心掛けて頂くと良いかと思います。
病気になると、周りの人は基本的に親切にしてくれます。
これは大変ありがたいことですし、“病気になったことで人の優しさを知る”というメリットは確かにあるでしょう。
しかしその一方で、その親切に色々な意味で甘んじてしまい、抜けだせなくなってしまうことがあります。
親切にしてもらえるということは、つまり注目を集めることです。
人には誰でも、「他人の注目を集めたい」という本能が必ずあります。それは目立つことが嫌いな人でも、人見知りの激しい人にも、いわゆる“人間嫌い”の人にもあります。(むしろ、人間嫌いというのは注目の欲求が強すぎて、捻れて起こることがあります。)
なので、人は様々な手段で注目を集めようとしているものですが、病気もその手段の一つとして用いられることがあるのです。
もちろん、無意識のうちに用いているだけです。
病気も頻繁に繰り返していると、やがて周りの人も不親切になってきます。むしろ、迷惑がられることも多くなるでしょう。
しかしそれもある意味、注目です。周りの人が困れば困る程、その原因である自分が目立ち、存在感は強くなります。
それがいい存在感か悪い存在感かは、潜在意識にとってはどちらでもいいのです。
エスカレートすると、より強く困ってもらえたほうが、注目されている感覚が強まり、心の裏側が満たされることになります。
こうしたことは特に子供の病気の背後にみられると言われています(こちらに解説)が、実は大人も同じことをやっています。
こういう癖は誰にでも多少あるものですが、あまり強くなってしまうと厄介です。
それは、困った時にすぐ病気になってしまう癖がついてしまうからです。
まぁ誰でも、本当に困った時には病気の一つや二つ、してしまうものです。
それはある意味、一旦寝込んで、頭の中をリセットして、英気を養った後に、改めてやり直すための準備とも言えるでしょう。
だから、病気になった時には、思う存分その病気と向き合いながら、自分の生活を振り返ってみてはいかがでしょう?
病気を早く『卒業』するのに一番必要なのは、その素直さ、謙虚さを持つことだと思うのです。
しかしその一方で、ただ困ったことから逃げ出したい、誰かに肩代わりして貰いたい、という思いが強すぎると、やたらと病気に逃げ込むことを選択してしまうこともあるのです。
こういう病気はなかなか治りません。
よく不祥事を起こした政治家が緊急入院しますが、なんだかそれに似ていますね。
・・・まぁでも、本当に困った時にはこれくらい仕方ないかもしれません。病気になりたい気持ちもわかりますし、少しは逃げ道も必要だと思うんです。
でも、これもやはりエスカレートするのです。
困った時というよりも、困りかけた時点で素早く病気になってしまう、そんな器用な人がいます。
さらに困るのが、特に困った問題が起きているわけではないのに、いざ困った時に備えて、保険のようにして病弱になっておく、そんな癖が付いてしまっている人もいるのです。
そういう人は、「元気そうですね」と言われると怒り出すことさえあるのですが、まぁとにかく、口を開けば「調子が悪い」「なかなか治らない」と言います。
そんな癖をつけてしまっては困るのです。 自ら病気を呼び込んでいるようなものです。
「ストレスが病気の元だ」 ということはよく言われています。
しかしその「ストレス」というものも、一方的に外側からやってくるものとは限りません。
ストレスというのは、自分に合わない考え方や行動を押し付けられたり、迷惑をかけられたり、そのせいで、自分らしい生き方を出来なかったりということで起こるものです。
そういう意味では、外側からやってきたものと言えるかもしれません。
しかし、ストレスの全く無い生活の中では、私達の心は弱いものになってしまいます。
ある程度の黴菌やウィルスがいるからこそ、私達の体には免疫力が育ちます。
しかし、黴菌やウィルスを吸収しすぎると、熱を出したり、下痢をしたりという“症状”が起きます。
“症状”というのはつまり“病気”の表れですが、その病気を通して黴菌やウィルスを排泄し、さらに強い免疫力を身につけることができるのです。
心も、同じようなしくみなのです。
自分に合わない生活、我慢ばかりの生活・・・それが自分の能力の限界を超えてしまうこともあります。
しかし、そんな生活を意識的に変えることは簡単ではありません。
それは勇気がいることだし、何かのきっかけがないと、踏み出せないものでしょう。
そのきっかけの一つが、病気です。
限界だということを、体のほうが知らせてくれているんです。
辛くて不自由な思いをしてみないと、そのことにはなかなか気付くことが出来ません。
大きな病気は、人生の節目に起こることが多い・・・
それはいつも後から気付くことではありますが、
だからこそ、前にも書いたように、
病気の時は、素直に、謙虚に、自分の人生を、そしてこれから先を見つめなおす、
そんなきっかけとなるのではないでしょうか?
病気を言い訳や逃げ道に、注目を集める道具にするのではなくて、
さらに充実した心と体を創っていくきっかけにすることができる、
そういう視点を持てば、病気とも、人生に起こるトラブルとも、
また違った積極的なつき合い方ができるはずです。
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