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byまぐまぐ
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心のこと、体のこと、整体や健康法のこと、ここだけの話…など、
日々本音で書き連ねています。
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手当て(愉気)と気・心・体
ただ手を当てるだけの「愉気」。
このことに、一体どんな意味があるのでしょうか?
氣を送る、何か特別なエネルギーのようなものを手から出しているのでしょうか?
手技療術のように、圧力、角度などの問題ではないことは、ただ手を乗せるだけというその方法を見れば明らかです。
その形自体は基本的に誰にでも出来ます。座って相手に手を乗せるだけなのですから。
愉気については、どんなに言葉を尽くしても上手く表現できないものです。
受けてみなければ分からない、いえ、受けている人でも、わかり切れないものなのではないでしょうか。
意識で感じること以上、意識以前、理屈以前のやり取りが行われているからです。
強いて言うなら、それが「気」というものであると私は考えています。意識以前、潜在意識といってもいいでしょう、その部分での同調・共鳴が「愉気」なんだと思うのです。
手から出されるエネルギーを相手に注入するようなものとは考えていません。
愉気の効果や気持ちよさの違いがその“技法”によるものではないとすると、やはりそれは行う側の内面的な問題としか言いようがありません。
もちろん、腕の力の入り具合とか、手を乗せる強さやタイミングといった問題もあるでしょう。
手に妙な力が入っている人に触られると、やはり受ける側も無意識のうちに緊張してしまいます。リラックスしているつもりでも、緊張していることがあるのです。
不意に手を触れられるとドキッとしますし、ましてや物をドンと置くように無造作に手を触れるなどというのは問題外です。
しかしこれらの良くない触れ方も、結局は行う側の内面の現れなのです。 手に力が入ってしまうのも行う側の心や頭の中が落ち着いていない為ですし、無造作に手を当ててしまうのも、相手の呼吸・空気を読もうとしない心の鈍さ、強引さによるものです。
そうした心の乱れや相手に対する気配りの無さ、強引さが、相手にそのまま伝わってしまうのです。もちろん無意識のうちにですから、お互いに自覚はありません。
意識の上では、手の温かさで気持ちいいと感じているかもしれません。
「リラックスしてください」「安心してください」
と声をかければ、多少はリラックスできるかもしれません。
しかし、その言葉よりも奥にあるものに、相手の体や心は反応してしまっているのです。そもそも「リラックスしてください」なんていう言葉を言わなくてもリラックスできるような手当てが必要なのですから。
手を触れるだけでリラックスしてしまう・・・そのような手が理想なわけです。
というより、もはやこれは手だけの問題ではないでしょう。手を触れる前から、「愉気」は始まっているのです。
相手との純粋な同調・共鳴を得るためには、行う側の心がザワザワしていたのではいけませんし、不安や緊張があったのではいけません。
また、「相手は○○病だから、ここに手を当てるべきだ」とか、「治してやろう」という意図さえ邪魔なのです。
波が立つ水面には風景が歪んで映ってしまうように、雑念や先入観、“○○してやろう”という意図が素直な同調の妨げになるのです。
とは言っても、相手の病気は心配だし、本当に自分の愉気でいいのかな?というような心配は、消そうと思っても消えるものではないでしょう。
逆に自信を持って行うのは良いことですが、自信過剰は強引さにもつながりますし、自分の自信だけで行う愉気は、結局行う側の都合、行う側の勝手な意図を押しつけているだけにすぎません。
とにかくこうした心のあり方というのは、最もコントロールしにくいことですが、だからこそ、コントロールしよう、などと気張らない事が大事なのです。
相手をコントロールしないのと同じように、自分も無理にコントロールする必要はありません。
ただ、意識を“あること”に向けるのです。
それは、呼吸です。呼吸のリズムを同調させていくのです。
呼吸は無意識のうちに行われるものでありながら、意識でもコントロールできます。
心の様子は呼吸の早さや強さに現れますし、肉体的な変動も現れます。喋るリズムも呼吸のリズムが関わってきますし、動きのリズムも呼吸と同調します。もちろん呼吸は生死にも関わるものですから、その人の全ての現れでもあるのです。
当塾では、愉気法の基本実習として以下のようなことを行うことがあります。
まず、相手にうつ伏せで寝てもらいます。
行う側の人は、相手の左肩の側に座り、しばらく相手の呼吸のリズムを感じます。吸う息で背中が盛り上がり、吐く息で沈むのですぐ分かるはずです。
一旦そのリズムに慣れてしまえば、背中じっとを見つめていなくても相手の呼吸がわかる はずです。
その時に、自分の呼吸を相手の呼吸に合わせてみるのもいいでしょう。しかし相手が極端に息が長かったり、逆に小刻みな呼吸をしている場合は合わせづらいかもしれません。その場合は合わなくても仕方ありませんが、必ずそのリズムを感じるようにします。
次に、相手が息を吐くのに合わせて両手をふわりと乗せます。
このときも、相手が息を吐く速度にうまく同調し、なるべく相手の呼吸のリズムを妨げないように注意します。
例えて言うなら、大縄飛びで回転している縄の中にうまく入っていくような感じでしょうか。
両手を乗せたら、その手を相手の体に馴染ませるようなつもりで、またしばらく呼吸のリズムを合わせ続けます。
すると大抵の場合、一旦大きな息をして、そこから相手の呼吸が変わっていくのです。
より落ち着いた、深い息になります。
そこから右手で背中をなぞって、違和感のある場所を探していく、そして気になった場所に愉気をしていくのですが、 まずは呼吸のリズムを合わせる練習として、ここまでやってみてください。
手を離す時には、相手が息を吸うときに、背中が盛り上がっていくのに合わせて離すようにします。(表現は少々違いますが、DVDでもこの方法を解説しています。)
このときの呼吸は、当たり前ですが、“ただの呼吸”なんです。
呼吸のリズムが早いからどうだとか、強さはどうだとか、そのような意味づけをすることが目的ではありません。
ただ呼吸そのもの、相手そのもののリズムに同調していくだけです。
ただ同調していくだけだから、相手は安心するのでしょう。強いて言葉にするならば、「そのものを認めてもらえた感覚」というようなものでしょうか。
もちろんそのようなことを相手が頭で思う訳ではありませんが、そのような感覚を意識以前のレベルで感じ、呼吸が深くなってしまうのです。
そのためには先入観も、何らかの意図もなく、ただ呼吸のリズムそのものを感じて、それに載っていく、という純粋さが必要なのです。一歩進めばその呼吸をリードしていくことも出来るのですが、それも同調・共鳴があってのことです。
整体(個人指導)を行う場合は、その後で背骨などの状態を確認していくのですが、同調することで不思議と相手の状態がよく伝わってきます。
相手の体が素直に表現してくれると共に、その時には行う側の感性も研ぎ澄まされているのです。
まさに“共鳴”です。
このことは、音楽に例えるとわかりやすいでしょう。
音楽を聞いて心が高揚したり、落ち着いたりするのも、そのリズムとの同調です。
「この曲で作者が訴えたいことは…?」「○小節目の和音の構成は…?」などと考えていたのでは気分も乗ってきません。
聞いているうちにそのリズムに乗ってきて、思わず一体化してしまった時に感動や興奮、安らぎなどが得られるものです。
音楽の持つリズムも様々なものがあります。
音楽ばかりでなく、詩や文章にもリズムがあります。
土地には土地のリズムがあり、気があります。
同じように、人には一人一人のリズム、気というものがあります。
だから相性というものもあり、個性がある、だからこそ一方的に考え方や技術を押しつけるのでは、相手に全く響かないことがあるのです。
どんなに多くの知識を身につけても、 どんなに立派な経歴や肩書きを振りかざしても、本当の信頼関係というのはもっと奥の部分で感じ合うものなのではないでしょうか。
このことは、“手当て”に限りません。普段の人間関係の中でも、相手の呼吸に同調する、或いはそのリズムを感じて同調しようとするだけで、言葉が愉気にもなり、目線が愉気にもなり、何気ない相槌が愉気になることだってあるのです。
そしてその愉気が響き続けることで、相手は体や心の壁を少しずつ剥がし始め、自らを良い方向へと導き始めるのです。
※「愉気法」という表記は、整体法(野口整体)創始者・野口晴哉先生によって使われるようになったものです。当塾では皆さんにも馴染み深く、愛着のあるこの名称を使わせて頂いていますが、福井自然体健康塾は野口氏や同氏が創設された協会との関係はありません。
手当て(愉気法)の基本についてはこちら
DVDでも愉気法の解説をしています。
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